iPad触りだすと、なかなか手放せなくなる。
なんだかんだと、ずっと触ってる。
何と言っても電子書籍が読みやすい。
iPhoneでも読めるんだけど、iPadにはかなわない。
それに、裸眼で使えるのがありがたい。
強度の近視な私は、MacBookでさえ眼鏡なしでは操れないのだ。
細かいこと言うと、眼鏡かけたらより鮮明に見えるのだけどね。
去年の年末くらいかな。何気に3D Touchが効かなくて焦った。
あれ? これって、iPhone7よね?
再起動して復活。壊れたかと思って焦った。
その後、この現象は発生してないから良いとして。
一つだけ冬場になって気になることが。
手袋してるとホームボタンが押せない!
スマホにも使える手袋が出てきてタッチパネルは操作できるんだけど、これは地味に困る。
それ以外は、重さも少しだけ6sより軽くて、個人的に満足してるんだけどなあ。
たまに見てるブログに載ってた、エレクトーン少女を見て考えたこと。
コメント欄を見たり、あまり知らないエレクトーンについて調べたりしてると、
機器に演奏させることができる世の中で、敢えて、人が演奏するってことが気になった。
細かい調整を繰り返していれば、人を感動させる名演奏を自動で演奏させることができるようになるだろう。
でも、それでは聴き手である私たち人間は、おそらく満足しない。
これは、今の理論を使った機械では伝えられない何かが、私たちに伝わっているということではないだろうか。
もちろん、演奏者の容姿や動き、ライブ感など、耳から聴き取る以外の事柄が影響しているのは確かだと思うが、それ以外にも、楽譜通りに辿るたけでは伝えられない何かがあるということは、経験的に感じていることだと思う。
それに、感動を与えてくれる音楽なら、口パクの録音でも自動演奏でも良いように思えるのだが、実際は、その人が本当に生み出している生の音楽であることを重視する傾向があるように感じる。
これはどういうことなのだろうか?
音楽に限らず、他の事柄、例えば美術や書道などの芸術分野。それだけではなく、仕事の達成についても、その成果物よりも、その人の技や熱意を感じとって評価をしているのではないだろうか。
それどころか、成果物なんて全く関係なくて、その人から感じられる「何か」だけが評価の対象なのかもしれない。
いずれにしても、何かの評価基準で絶対的に決まっているものではなさそうだ。
ま、そういうところが、不思議で面白いところなんだと思うけどね。
少し前の話。
嫁さんと飲みかけだったお酒があったのだけど、
「あんまり残ってなかったから飲んだよ。さっき」
「もっと美味しいの買ってきたから」
って…。あのお酒、すごく気に入ったのに! 美味しいって言ってたでしょ!
ほどなく怒りに火が付いてしまい、大変不機嫌に。
また買おうと思うも、限定品で1年後になるようで。
なかなか飲めないと思うと、さらにイライラしてきて…、イヤな空気が充満していく。
ちなみに、今日のお酒は夕食に合わせて作ったらしい。
もう無くなってしまったものは仕方ないか。
このまま不機嫌を続けるのも疲れるし。
あきらめて、「一緒に飲もう」と誘う。
まあ、一緒に飲める相手がいて良かったということにしておこう。
それに、意図せず無くなってしまったものについては、とても良いものを失くしてしまったと感じやすいらしいからね。
と思い直し、二人で美味しくいただきました。
※結局、そのお酒(焼酎)は普段行かないお店でGETできました〜
人の言ってたこと、意見が、頭の中をぐるぐるしていた。
何度も何度もぐるぐるしてて、そうなのか? 違うんじゃないか? と思っていること。
だから、何度ぐるぐるさせても納得いかない。それは違う、そう思う。
言ってることが正しい、というか、筋が通ってるのはわかる。
でも、何度考えても、自分の感覚が間違ってるんだ、と思い聞かせても納得できない。
それに従おうとすると、全くの無気力になる。なってしまう。
どうしたらいいのか。
聞いてるフリをしとけば? って思うことは思うけど、あまりにも納得がいかないから聞いてるフリさえできそうにない。
これはもう、聞かない。いや、「聞いたかも?」くらいに思うしかないかもしれない。
「言ったっけ?」って返すくらい忘れてしまわないとダメかもしれない。
とりあえず、頭の中から取り除いてしまいたい。こうやって書き出すことで少しでも薄くしてしまいたい。
「散髪して短くするのはやめて」と嫁さんに言われた。
別に薄いわけではない。
そう言われても、髪は勝手にのびるから、気持ち悪いんだけど…。
私だって、散髪行くのはキライだよ。いや、めんどくさいよ。
だから、耳に当たりそうになったら切ったりしてる。前髪が長くなったときにも。
それでも、さすがに持ちこたえても2ヶ月ちょい。のびるのが早いのか普通これくらいなのか。
今回はスキ用のカミソリが入ったクシを利用。
これで来年まで持たせるつもり。
およそ、あと2週間。
新しい年を感じる頃には、散髪屋さんが行きたいところに変わっていると良いのだが。
待てよ? そもそも見てて寒いってことは、春を感じる頃まで短くできないのか。
あー、それ以前に、見てて寒くないように少し切ってもらったら良いのか?
どっちにしろ、めんどくさい。
見てて寒いはともかくとして、なんでめんどくさいんだろ。スッキリして気持ちよくなるのに。
子供の頃は1時間とか、随分待たされたから、そのイメージがついてるのかな。 今は20分もかからないんだけどね。
行く店がいつも通る道沿いに無いからなのか、切った後のサッパリし過ぎた感がイヤなのか。
さっぱりわからん。
自分が感じて決めている感覚よりも自由らしい→私。
う〜む。そうは思えないのですが…社会の中の人としてって感覚が大きくなってるのは確かだなー、とは感じます。
こういう感覚は、大きくても半分までにしとかないと。疲れるし。
自分的には自由でないと思ってる。
でも、自由だと思っても良い。
もっと自由になっても良い。
「へへっ、こう見えても、私はすんごく自由で気ままなんだぜー」思うのも自由。
少なくても、そう思うだけでも、気持ちがラクになる。気がする。
自由にしていいんだから、ムリもしなくていい。
自分のイメージを、職業や、やってることで決めてしまうのはやめよう。
誰が何と言おうと、「私は冒険家だー」とか思ってたっていいんでない?
何か一つの型にはめようとするのは、あんまり良くない気がするのです。
生きてるってのに変わりはないし、どんどん変わって行ってもいいんだからね。
長沼 毅さんの「考えすぎる脳、楽をしたい遺伝子」を読んだ。
人間には、動物的な部分が残ってるんでなくて、動物に頭がオマケで付いてるだけって感じがした。
そう考えると、世の中の納得いかない事柄が逆に自然に見えてきた。
人って、頭で生きるんじゃなく、動物として、生きることメインで考えたら良かったんだー、って感じ。
頭が体を統制してるって考えずに、頭を暴走させないようにする。
頭にはバグがあるようなので。
頭で考えることは、脳としては正しく、問題ないことなんだけど、動物としてはまた違った考えを持っていて、その辺にズレがあるんだろう。
頭だけで考えずに、体の、動物としての気持ちを感じて、大事にして、暮らして行くといいのかな。
でも、どうやらこの問題は人の永遠のテーマであるらしく、まだ解決には至っていない模様。
脳が大きくなり過ぎて、影響力も大きくなり過ぎちゃったのかなー。
他の長沼さんの本も読んでみたいと思う。
iPhoneをつまんだとき、思った。
私はケースを使っていないので、本体そのままの姿である。
慣れというものは恐ろしい…。
いや、素晴らしいのか?
つい数年前まで薄くて折れそうと思っていたMacBook Airでさえも普通に感じさせてしまう。
今の感覚では、もうすでにiPhone7も厚いし、重い。
ても、この間下取りに出したiPhone6は薄い感じがしてたから、もしかしたら材質や塗装による肌触りや、厚さと重さのバランスによるものなのかもしれない。
確かに、iPhone6と比べると、6s、7ともに厚みの割に重たいのだ。
となると、3D Touchの搭載が原因なのかな。アルミが7000系になり、塗装が変わったことも関係していそう。
それに硬い気もする…。
あ、6で曲がる問題があって、硬い7000系に材質変更したんだった。
ちなみに、iPhone6の厚さは6.9mmでiPad Air2と同じだったのが、6s、7になってからは7.1mm
この違いが気になったのかもしれないね。
ついこのあいだ、嫁さんとの会話の中で出てきた、
「あなたの何もしないところが、いいところ」
ってことば。
へ? おかしいんでない?
それはいいとこじゃないでしょ?
いいところか? どこが?
わからない…。
Googleさんに聞いてみる、「いいところ 何もしない」
ほう、意外に効果がある模様。
「あえて」、「バカンス」、「精神の回復」・・・
長期に休暇を取ったりしなくても、ちょこちょこ何もしない(=精神を休める)ことができさえすれば、効果アリというような記事が出てくる。
ありがとう、Googleさん。詳しくは見てないけど、大体わかったよ。
確かに、頭ばかり使うのをほんの少し休んだだけでも、ほんわか穏やかになれた気がしたから。久しぶりに。
hontoにある、オススメのブックツリーを辿っていたら、面白そうな本があったので読んでみた。
この手のサッと読めそうな本は、電子書籍がありがたい。どこでも読めるし、かさばらないので。
人生の、生活の。
左から始まるとして、簡単に文字で書くと、
「/」「-」「__」「VV」「U」
のように、いろんなペースがあるけど、それらの組み合わせは人それぞれ。
私的には「/」の逆、バックスラッシュ的なのが多いかなー。
できることは、さっさと片付ける。
社会人としては、「-」な感じに出来るといいんだけど。
ま、そんなこと言ってても仕方ない。
そのときの調子にあわせて、途中で疲れ切ったりせずにゴールへ向かえるよう、リソースをうまく配分していくしかないわな。
たまにはMac版のKindleも使ってみようと思い、立ち上げてみると、メールアドレスとパスワードを入れてください、と言われたので入力。
認証できなかったらしく、画像にある文字を入力してください、とのこと。
なんとか見づらい画像の中の文字を入力してもダメ。結局使えなかった。
なぜに? 何が違うの⁉︎ となって、5、6回やってもダメ。こりゃ、ダメだ…。
アプリのアップデートがあるのかな? と思い、App Storeを覗いてみるも、App Storeには無い。よって、ダウンロードできない。
んならと、Amazonサイトからダウンロードしてみたら、サインインできた。やったー。
App Storeにも入れとけよー。
でも、アプリの起動はできたものの、本のダウンロードがなかなか進まず…。遅すぎる! 読む時間なくなったじゃんか!
「人生を半分降りる」を書店で手にとってみるか、と思いつつ、そんな話を嫁としてたら、
「もう半分以上降りてるんじゃない?」とか、
「そろそろ自分が普通でないのに気づいたら?」とか言われた…。
そうなのか? 知らなかった。
いや、たまに言われるが、しっくり来てなかった。いや、今も来ていない。
そもそも、少なくても自分のことを普通(多数派)と思ってて、ホントに普通な人なんていないんじゃないか?
それに、私は人生を降りていない。降りそうになっててもなんとかなってるはず。
ただ、それを望んでるかと聞かれれば、ほぼ全く望んでいない自分がいる…。
結構、他の人と同じように生きようとしつつ暮らしている、それに満足しているフリはしているが、ホントのところはそれを望んでいない。
それどころか、乗っかってる道自体、間違ってるようにも感じられる。
…これは、半分降りるってことにも興味あるけど、良かれと思って乗っかっている人生が間違っている可能性も否めないなー。