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書いて浮かべるブログ

のんびりしたいおいさんのアタマノナカ

正しさは不要

コミュニケーションを取るとき、論理的である必要は無いのだろう。

話の内容自体は、どうでもよい。いや、多少違っていてもいい、と言うべきか。

内容が正確か、と言うことよりも、こんな感じ、が伝わればそれでいい。
特に、何かの説明をするようなときには。

場合によっては、説明すら要らないのかもしれない。
そうなんだよ、とか、そんなもんなんだよ、という風に。

細かいことを伝えようとしながら話していると、場が不安定になったり、ときには壊れてしまうことがある。
そうなると、もう、話の内容より、ただの言い合いみたいになる。簡単に言うと、何やってんだろ?ってなことに。

昔の発言を取り上げるときも、そう。最後の最後には、言った、言ってない、になるだけ。

じゃあ、どうすればいいのだろう?

言い合いをしてまで、話をしなくてもいいだろう。勝ち負けは無いのだから。
正しさより心地良さ、どう感じ、どう思うかを目安にしたほうが、いいのではないだろうか。

話を聞くだけ

ただ、話を聞いて欲しいのだろうけど、聞いているうちに、こちらにも言いたい、聞いて欲しい、そんなことが猛烈に浮かび上がってくる。

そういうときには、どうしたらいいのだろう…。

とりあえず、無理矢理にこちらの話をねじ込もうとしても、上手く行かない感じだ。

じゃあ、ずっと聞いておくことにする?

それもなかなか難しそうだ。でも、ひと段落するまでは、聞いておくのが良さそうではある。

そこで、ある程度聞きながら、気になる、何か言いたくなったことを、メモしておくのはどうだろう?

そのメモが、ある程度溜まり、もう一度見返し、タイミングを見計らってから、こちらの話をする。そういうのは、どうだろうか?

話をしている本人としては、聞いてもらうだけでいい、意見は要らない、ってことなんだろうけど。
どうして何か言いたくなってしまうのだろうか。相当なお節介焼きなのだろうか。

コントロールできるうちに

どうしようもなく感じるとき。

うまくいかない気がするとき。

できないと思うとき。

なんでわかってくれないんだ、ってとき。

なんだかモヤモヤしてるとき。

生きにくいって思うとき。

どれも似たような表現だけど、つまり、結局、「ダメなとき」

すべてを「停止する」
そして、「寝る」

再起動で、回復する。
頭の言うことなど、信じてはいけない。

目がチカチカ

久しぶりにフルカラーの本を見た。

ベーグルとかコーヒーの載った本。

色鮮やかで美味しそう。

ふと、目がチカチカするのに気づく。

近頃は辞書ばかり眺めてたせいか?

見るのはモノクロ。多くて二色。

もしかしたら、花粉の影響かも。


先週は日記すら書けなかった。

しんどくて。

DAY ONEによると、去年もこんな感じだったみたい。

この時期はだるくなるようだ。

職場へ行って帰るので精一杯。

早く秋が来てほしい。

すると、できない

読もうとすると、読めない

考えようとすると、考えられない

覚えようとすると、覚えられない

忘れようとすると、忘れられない

◯◯しようとすると、◯◯できない

「する」ってのは? 私?

地雷

踏んだり踏まれたり こころのなかに

まさかそんなところに!ってとこに 地雷というかスイッチはあるらしい

自分でもおどろく たぶん相手も

気にしてないつもりでも気になってる

さわれられたくないところ

そんなところだから なんとかフォローしようと思ってもうまくいかない

ほおっとくのがいちばん

ふれないのがいちばん

そのうちおさまるさ おさまってほしい

辞書と付き合ってみる

近頃、気になってやってる「辞書の散歩」

持ってる辞書を行ったり来たり。適当に。

何気に困ってきてるのは、用例が少ないような気がすること。

でも、これ以上増やしたら、厚い本がさらに厚くなっちゃう。

アプリの辞書もいいけど、スカッとしすぎな気もする。

いつでも使えるのはアプリ。どっちも気ままに使ってる。

もっと散歩してたいけど、いつまでたっても終わらなそう。

iPadのいいとこ

iPad触りだすと、なかなか手放せなくなる。
なんだかんだと、ずっと触ってる。

何と言っても電子書籍が読みやすい。
iPhoneでも読めるんだけど、iPadにはかなわない。

それに、裸眼で使えるのがありがたい。
強度の近視な私は、MacBookでさえ眼鏡なしでは操れないのだ。
細かいこと言うと、眼鏡かけたらより鮮明に見えるのだけどね。

iPhone7のもう一つなとこ

去年の年末くらいかな。何気に3D Touchが効かなくて焦った。
あれ? これって、iPhone7よね?
再起動して復活。壊れたかと思って焦った。

その後、この現象は発生してないから良いとして。
一つだけ冬場になって気になることが。

手袋してるとホームボタンが押せない!
スマホにも使える手袋が出てきてタッチパネルは操作できるんだけど、これは地味に困る。

それ以外は、重さも少しだけ6sより軽くて、個人的に満足してるんだけどなあ。

それを人がするということ

たまに見てるブログに載ってた、エレクトーン少女を見て考えたこと。

コメント欄を見たり、あまり知らないエレクトーンについて調べたりしてると、

機器に演奏させることができる世の中で、敢えて、人が演奏するってことが気になった。

細かい調整を繰り返していれば、人を感動させる名演奏を自動で演奏させることができるようになるだろう。

でも、それでは聴き手である私たち人間は、おそらく満足しない。

これは、今の理論を使った機械では伝えられない何かが、私たちに伝わっているということではないだろうか。

もちろん、演奏者の容姿や動き、ライブ感など、耳から聴き取る以外の事柄が影響しているのは確かだと思うが、それ以外にも、楽譜通りに辿るたけでは伝えられない何かがあるということは、経験的に感じていることだと思う。

それに、感動を与えてくれる音楽なら、口パクの録音でも自動演奏でも良いように思えるのだが、実際は、その人が本当に生み出している生の音楽であることを重視する傾向があるように感じる。

これはどういうことなのだろうか?

音楽に限らず、他の事柄、例えば美術や書道などの芸術分野。それだけではなく、仕事の達成についても、その成果物よりも、その人の技や熱意を感じとって評価をしているのではないだろうか。

それどころか、成果物なんて全く関係なくて、その人から感じられる「何か」だけが評価の対象なのかもしれない。

いずれにしても、何かの評価基準で絶対的に決まっているものではなさそうだ。

ま、そういうところが、不思議で面白いところなんだと思うけどね。