書いて浮かべるブログ

書きながら考える

のんびりしたい私のアタマノナカ

適度な緊張感

昨日出かけていたら昼食が午後2時くらいになった。出かけていると確かにそんなに腹が減らない。というか気にならなかった。探し物があったわけでもないのに、売り場を見てると目に留まるものがあったり。脳は何かを探しているのかな。普段気づかなかったけど。

部屋でじっとしていると腹が減る。店を巡ったりしているとそれほど空腹を感じない。部屋に居ても忙しくしていれば腹が減らないのかもしれないけれど。リラックスしていると消化が早くなるのかな。忙しいときは消化がゆっくりなのかも。

家にいると眠くなるのはリラックスしているから? 刺激が少ないだけなのかな。特に急ぎの用事がなければ何時間でも寝れそうな気がする。実際はそうでもないけど。眠くなるのは退屈だから?

眠くなるってリラックスしてるわけじゃなくて、脳が暇してるだけなのかもね。眠くならない程度の心地よさ、それがリラックス。眠くなるならリラックス過剰。そんな感じなんだろか。そんなことを思った。

好きなものをしまい込む癖

時間のあるときに読もうと思い、取っておいた本ほど読めていないことに気がついた。図書館で借りた本のような、手元から離れる日が決まっている本だと一応軽く読んでみることが多いのに。

ゲームとかでも、とりあえずクリアしてしまおう! みたいなものは雑にでも進めていける。それに比べて大事にしたい、楽しみにしているものは、時間があって調子の良いときにゆっくり味わいながら。みたいな感じでプレイしようとしてる気もするなあ。どうやら、好きなものを最後まで取っておきたい性分がこんなところにも現れているらしい。

もう、ご褒美を我慢して勉強してたような子どもじゃないんだから、好きなものほど優先的にすぐに手をつける。そんな習慣に切り替えていってもいいんだよ。そう言ってあげたい。

レベル上げが嫌いでした

ずっと嫌いだったRPGのレベル上げ。なぜか最近、それほど嫌でなくなってる。少し古いRPGをプレイしていて、フィールドをウロウロしながら戦闘を繰り返してるときに気がついた。今どきのRPGと違って、ゲームバランスがストーリー重視になっていないから適度なレベル上げは必要。そのウロウロしながらレベル上げってのが昔は大嫌いだった。ストーリーを進めたい、先を知りたいって気持ちが強かったんだろね。

それが今では、作業的に同じパターンの戦いを繰り返してもそれほど苦でなくなってた。瀕死になりながらも、なんとかボスキャラを倒していくのが好きだったのに。といっても難易度ノーマルでのお話で、ハードモードなんかをクリアするような腕はない。キャラクターの動きを味わいながら、敵のHPを削っていく楽しみを知ったのかな。

そうするといいことに、ゲームをスムーズに進められるようになった。適切なレベル上げをするのが習慣になっている人には当たり前のことなんだろうけどさ。以前から、手に入る装備を一通り揃えてから進める程度のことはしていたけど、現れる敵を楽に倒せるくらいまでレベルをあげるのは面倒だったので。それがレベル上げだけでちょっと満足するようになったのは進歩(?)なのだろうか。一つレベルが上がったらセーブして、今日のところはひとまず終わり、明日もまだレベル上げかなあ。なんて感じのプレイでも不満がない。もしかすると極端な話、物語なんてもうなくてもよかったりして(笑)

だって、どんな不幸なことがあって壊滅的状況になったとしても、最後にはそれなりにハッピーエンドになるでしょ。っていう安心感があるから。ちょっと気を抜くと全滅してしまうような、そんな戦闘が楽勝になるまで作業的にレベル上げするのもいいんじゃない? なんて。レベル上げの面白さを知らなかったのは私なんだけどさ。でも新しめのRPGはなんとなく戦闘が優しめになってるように感じるから、レベル上げが好きでない人って多いんじゃないのかな。

同じようなことを繰り返して経験を積んでいると能力がアップするって、案外基本なのかも。近頃ではおろそかにされていることかもしれないね。

気分転換

気分転換の転換ってなんだろう。

どうやら別のものに変えることらしい。

ということは、気分転換とは、気分を変える、ってことか。

全然やりたくないことをはじめてみたり、今の気分に合わない音楽を聴いたりすること?

気分に合わないことをするって嫌じゃない? 

そんな時はそもそも気分と違うことが思いつきそうにない。

わざと今の気分と違うことをする。これってむちゃくちゃ。ムリっぽい。

レコメンドサービスにもなさそう。普通は好きそうなものを勧めてくるでしょ。なのに、合わないことを勧めるって、嫌いそうなものを勧めてくるようなもんじゃないか。

そんなもの勧められても、スイッチを切りたくなる。つまり、自分の力で気分転換するのは難しいってこと。

相性が良くない人と同じ部屋に閉じ込められるとか、コンピュータが自動でチャンネルを操作するとか、強制的じゃないと気分転換はできそうにない。

ひとりで気分転換するなら、ルーレットを回して、何が出ても指示に従うって決めるくらいしか。

散歩をして、目についた店に入ってみる程度のことじゃ気分転換はできなさそう。避けてた道の嫌いな店にあえて入るくらいやらないとダメなのかもしれないね。

気軽に詩を読んでみる

このあいだ海に出かけるときに、なんとなく手に取った文庫の詩集を持って行った。

気軽に開いて読めるし、しおりもいらない。一つの詩はすぐ読み終えるから、隙間時間にちょうどいい。字が詰まってないから疲れない。

何か他の詩集も探してみようかな。

※1 電子書籍もよさそうだし、単語帳なんかも相性がいいかもしれない

※2 詩集ではないけど「論理哲学論考」は詩みたいだ

心が柔らかくなるとき

なんとなくソファのぬいぐるみを見て、笑顔のエルモがこっちを見てたりするとほっこりする。

並べてるわけじゃないんだけど、犬がソファに登ったりしてそうなったんだろう。

その中に犬がまぎれて眠ってたりすると一瞬気づかない。

まったりした楽曲を聴いてて、クッションで丸まってるのが目に入ると、

音楽を聴きいてて眠くなったのかな、なんて微笑ましくなる。

たぶん日が当たるからってだけで関係ないんだろうけどね。

ゲームサントラを聴いて

ゲームをしながら思った。

ゲーム自体も面白いけど、もしかするとサントラを楽しむためにゲームをやってるのかも。

サントラだけを聴いていいと感じる曲もある。でもゲームをやってから聴くともっといい曲に感じたり、聴いただけではよく感じなかった曲を好きになることもある。まあ、ゲームと合わせて世界を作ってるんだから当たり前よね。

一回プレイしたゲームなら、あとは何度も周回プレイをしなくてもサントラだけを聴いてストーリーを思い返したりできる。追体験ってやつか。

サントラがゲームの内容を思い出すためのフックになってるってこと。そういえば、基本的にRPGを一回しかプレイしない私でも、RPGにサントラやミュージックモードみたいなものがなかった頃は最初からやり直してたなあ。

サントラがあるおかげで何回も同じゲームをしなくていいってことなのかな。RPGって普通にクリアするだけでも100時間近くかかるから、1時間くらいでとりあえず思い返したいときにはありがたいんだよね。

それでもやっぱり、もう一回遊んでみようって思わせるゲームがあったりすると困っちゃう(笑)ほかのことをする時間がなくなるからね。

まあ、すごく大きな目で見ると似たようなゲームは多いから、気に入ったものを何度も楽しむってのも魅力的と思うし、そうしてみたいなとも思った。

変化して慣れに対抗する

人って変化から戻ったときのギャップに何かを感じるのかな。

このあいだ車を車検に出して代車を借りた。現行車種で走行距離も少なかったけど、特に感想もなく帰宅。あとは次の日に返し(自分の車を引き取り)に行くのに乗っただけ。

自分の車に乗り換えて走り出した途端に違和感、さっきまで乗ってた代車は最近の車だったんだと感じた。まあ、確かに古い車だけど。走り始めて最初にステアリングを切ったときがまず違う、大きく切らないといけない。あとは路面からの反応も違う、あの代車は乗り心地よかったんだと気づく。

でも、そういうのは乗り換えてすぐのときしか気にならない。だんだん自分の車に感覚が戻ってきて、何にも思わなくなった。

出身地に住んでいない人が地元に帰ったときに感じる感覚、いいこともそうでないこともあるだろう。そんなものも、すぐに何も感じなくなるのが普通だ。モードが変わるような、実際に使ってる脳の部分が違うのかも。頭の中が以前の回路に切り替わって何も思わなくなる感じ。

時間が経っても、いつまでも味わい深く感じられることもある。そういうのはパターンとして頭が慣れっこになりにくいのかもしれない。だから何回接しても新鮮な部分が少しはあるんじゃないかな。

飽きないってことなんだろうか。何回乗っても嫌にならない車、何回聴いても気持ちよく聴ける楽曲、何回読んでも発見がある本…他にもたくさんの飽きないものがあると思う。こういうのは結局、こちら側が変わってるからそう感じるんだろう。

毎日同じことを繰り返して、同じようなことを感じ方、考え方をしながら生活している人ほど身の回りのことに飽きてしまうのでは?

放っておいたって周りの環境は変わる。だから、こっちが変わらなくても新しいものはやってくる。でも、たまに自分を変えていくことができたら、いつまでも目の前のものを新鮮な目で見られるんじゃないかな、とか思った。

本の研磨、経年劣化

中古本を買ったら、天地と小口がしっかり研磨されていた。

もしかしたら、新品として売られていたときから研磨本だったのかもしれない。どっちかわからないけど、私が買う前に研磨されたのかもしれないし、前の所有者も研磨された状態で読んだのかもしれない。

少しついてた手垢のようなシミは、中性洗剤や消しゴムを使ったらまずまずキレイになった。

小口研磨って、個人的にはあまり気にならない。まあ、カバーがぶかぶかになるほど研磨されてるとちょっと嫌だけどね。

図書館でキレイに焼けてる本を借りたりすることもあるけど、よく保存していてくれた、と思うくらいで嫌な気分は全然しない。逆に、紙面が少し落ち着いた色合いになっていて、読みやすく感じられる。

復刊された本と元の本を比べたとき、元の本のほうが紙質がよくて文字も見やすいことがあった。その本には”昭和59年9月20日 5版発行”って書かれてるから1984年発行、ということは今年で38年目の本なんだ!

ハードカバーだったものをソフトカバーの新装版として復刊した本なんだけど、ハードカバー版がほしくなってしまう。そちらにはカバーはないし、天にシミがあったりするんだけど、紙に文字がしっかり刻まれていて読みやすい。新装版は元の本をデジタルコピーしたもののようで、よく見ると文字が少しガクガクしている。紙質も違っていて、ハードカバーのほうはパラパラとページをめくりやすい。同じ値段で買えるならハードカバー版にしたかった。

でも、復刊してもらえたおかげで所有できるのはほんとにありがたい。元の本が見たければ図書館で借りたらいいわけで。

本って、いくらキレイに保存しておきたいと思っても限界があるもの。図書館でしっかり空調などに気を使って保管していても、どうしても経年劣化はしてしまう。天にシミがついたり、カバーとの隙間にホコリが入って天の部分が汚くなったり。ただ、読めなくなるほど劣化することはあまりないようだ。

ということで、じゃないけど。見た目がよくない本を研磨するのはいいんじゃないかなあ。手間をかけてもらってるわけで。その本の歴史というかなんというか、そう思って納得するのがいいかなと。

新品で研磨されてる場合もあるようだけど、それを避けたかったら実店舗で購入するしかない。本屋さんになくなってほしくないし、ネットばかり使って本を買うのはやめようね。

気合いをいれない

ほかの人のことはわからないけど、私は気合をいれると長続きしないほうだと思う。

まあ、なんとなくで続いてることも特に思いつかないけど。歯磨きくらいか(笑)

たぶん、少しずつ習慣にしていくのがいい。かといって、習慣化するために細かい予定を立ててやるのは苦手。

コツコツやるにしても、たとえば問題集を1ページずつ進める、なんてのはムリ。

じゃあ、どうするのかというと、適当に開いたところからやるとか、全部を飛ばしながらサーッとやるのを繰り返すとか。

とにかく、まめに続けることができないのよ。そんなことができてたら、よい人生を送ってるはず…。

でも古本を見ていると、そんな人は私だけではないらしい。問題集どころか、読めばいいだけの参考書でも初めの10ページくらいしか読んだ形跡がないものがある。ページを開いた折り目がついていたり、蛍光ペンで線が引かれていたり。気合をいれて読み始めたんだろね。実は最後まで読んだのかもしれないけど。

気合をいれるのが悪いってことじゃない。短期決戦には気合が必要かもしれない。

ただ、長く続けるのには向かない気がする。ずっと気合をいれないのがいいかはよくわからない。バランスが大事なんじゃないかな。

私のぐるぐる思考停止法

思考がぐるぐるし始めたらどうするか。最近ではとにかく眠ることを心がけている。

どうやら、ぐるぐるするのは脳が暴走してるからっぽいので。知識としては知っていたけど、ぐるぐるしてるときにはなかなか思い出すことができない。でも寝てみると、スッキリまではいかないにしてもモヤモヤがなくなっていることに気づく。

そういえば、どなたかがどこかに書いていたのを思い出した。腹が立ったら眠たくなる、起きたときにはイライラを忘れてる、のだとか。

確かにそういうのってあるかもしれないな。逆に、眠りから覚めてもまだイライラしてる人なんているのだろうか。

私の場合はイライラして眠気が弱くなることはあったとしても、眠れなくなることはまずない。読書をして目が冴えたときでも、寝れなくなるなんて考えられない。

考えがぐるぐるしたときは、最終的には脳が暴走してエネルギーを使い果たしてシャットダウンする感じに近い。どちらかというと常に眠いほうで、目が冴えることはあんまりない。これって、何か問題があるのかもね。

もし何か決めるのに悩んだら、思考がぐるぐるする前に寝てしまって、起きてから決断するがいいんだと思う。

ということで、ぐるぐる思考が始まったら脳がバグったと考えて、まずは寝る。というお話でした。

何もしたくないときは

何もしたくないときは無理をしない。

シャキッとしようとしてコーヒーを飲んだり、気合いを入れたりしない。

何もしたくないって気持ちが弱くなるまで、おとなしくしておく。

でも、周りとの兼ね合いでどうしても無理をしないといけないときはどうする?

少しでも何もしないをしてから、ギリギリのパワーで取り組む。そして一息つく時間が取れたら、何もしないをする。

そうしないと、何もしたくない気持ちがずっと続きそうだからね。


人によっては、ちょっと頑張っただけで疲れちゃう場合もあって、たいていは何もしたくない。

それじゃあ困るって無理矢理に頑張ってると、自分にストライキを起こされたりして、何かしたくなるまでに長い時間がかかりがち。

まあ、そのときはゆっくりしたらいいんだろうけれど。なかなかうまくいかないから。

できたらそうなる前に好きな歌を聴いてみたり、心地よいピアノの音を聴いたりして少しだけでも回復しておきたい。

一度に頑張れる期間は人それぞれ。ほどほどの状態を長く続けたくても思い通りにはならなくて、好調のときもあれば不調なときもある。

だからそんなときは、何もしないを受け入れてあげよう。

社会になんて思われようが、守れるのは自分なんだからね。

多書きとか多動とか

英語の多書きってのがあるようで、英語の多読の逆バージョンらしい。

多聞きって言葉は聞かないけど、聞きながらって繰り返しやすそう。前に車を運転しながら聞いてたら、自然に結構覚えてたから。

日本語の多書きってのも効果ありそうだけれど、あんまり聞かない。毎日日記をつけるような感覚かな。

頭に浮かんだことをただ書いていく。脈絡も関係ない。話したくなったことを口にする前に書くだけ。

多動ってのもあるか。とにかくたくさん動く、みたいな。


昨日書いた、なれるとよくなるって話。

クルマとかも、メーカーを変えると初めは運転しづらい気がするもの。でも、そのうちなれる。何も思わなくなる。

なれるまでが面白いといってもいい。思った通りに動かせない、もどかしさ。ドアロックを解除して乗り込むときから降りるときまで、体になじんでくるまでが楽しくて何度も乗りたくなる。

そういえば、クルマもバイクも同じメーカーのものを乗り継いだことがない。

いつも車種で選んでるから、メーカーで選んだことがない。次もこのメーカーで、なんて決めてないし。整備はいつもそのメーカーの販売店にお願いしてるから、同じメーカーのクルマやバイクを見るけれど、次はこれに乗りたいってあまり思わない。ブランド戦略が効かないタイプなのかも。

作る側としては、いいって思って作ってるだろうから、めんどくさくても使ってみるべし。

ま、いつもと違うのはすごくめんどくさいんだけど。

この、めんどくさいって思うのは脳のしわざって話だったな。脳は新しいことをするのが嫌いなんだとか。

でも、なれるのは早くて、なんとかしてなれて楽しようとするらしい。それでなれちゃう、すると安心する。

なれると今度は退屈になる。けども、新しいことは面倒だからしたくない。それが脳なのだとか。

脳さん、あんたが1番めんどくさいよ。

楽が好きで新しいことはしたくないけど退屈は嫌い。それなのに、いやいやでも新しいことができるようになってくるとだんだんやる気が出てくる。変なやつ。

だるくて暇を感じるときって、何かにトライするべきときなんだろな。

簡単なことに取り組むのもいいけれど、それでもやる気が起きてこなければ、打ちのめされるくらい難しいことをやって悔しい思いをしてみるとか。そしたら少しは、くそっ! って思ったりしないだろか。

あ、このときやってみるのは初めてのことがいいかもね。それならできなくたって落ち込んだりしない。できなくて当たり前。

多書きみたいに、多くやってみるのもいいだろね。反復ってのはとても役立つだろうから。

同じことを繰り返しやるのは楽でしょ、たぶん飽きるけど。思考はしなくていい。

飽きたら、ほかのことをしてからまた戻ってきたらいいし。なんで続けられないんだろう、とか考えないで夢中になれそうな方法を探しながらやると上達できるかもよ。

むしろ上達とかも考えないほうがいいかな。

筋トレとかも、やりすぎるよりも適当に休みながらやったほうが成果が出やすいんでなかったっけ。

ではまた今度。

使い込むとか、なじむとか

使い込むってのはどういうことなんだろう。

教科書とかでも、乱暴に扱うことが少なかったのかキレイなままだった。

といっても、勉強してなかったわけじゃない。先生から線引きをするように言われたところは仕方なく線を引いてたけど、それ以外に何も書かないって感じ。

そもそも、大事ところは太線で書かれていたり色付きになってたりするので、書き加えるのはテキストに載ってない内容を授業中に聞いたときくらい。

何色も使われると大事な部分がたくさんあるように思えて、かえって見づらく感じてしまう。

キレイだからって、使い込んでないとはいえないと思うんだよね。


いつも使うものでも、たとえばキーホルダーなんかでもそう。いつの間にか使い始めて16年目だ。

財布も11年くらい使ってる。でもこっちはネットショッピングやら電子マネーの利用が増えたからだな。

ボロボロになるまで物を使う人が増えたら、物は売れなくなる、だから物は高くなるだろう。

そうなれば仕事は減る。でも、楽になってもこれまでと同じ収入にはならないらしい。安い値段で商売をする人が出てきて、価格破壊が起きるだろうから。

どうしても利益のために競争したくなるんだろね、人って。


参考書に話を戻すと。本によっては書き込むスペースがほとんどないものもあるよね、辞書みたいに。それでも書き込むときは書き込むんだろうけども。

反対に、ゆったりレイアウトでいくらでも書き込めそうな本もある。解答欄もないのに。

空白が多いほど、凝った文字修飾がなくても、着色されてなくても目に留まる。

かなり奥が深い。専門の方はすごく研究してるんだろうね。

ただ、そうしたものの多くは第一印象に影響するもの。最初はフォントが嫌いだったり見づらいと感じたものでも、慣れてくると気にならなくなったりよく思えてきたりもするから不思議。そのうち、このフォントとレイアウトだからいいんだ、とか言い始めたり。


なじむまで使う、やってみるってのは案外大事。人って結構すぐ慣れちゃうものだからね。

絶対だめ、嫌。だったのに、もうそれしか考えられないってなったり。いや、出会いが悪かったものほど、相性がよいといってもいいかもしれない。

合うものを探すのに時間をかけるか、なじむまで使ってみるか。どっちでもいいけどさ。

iOSの低電力モードをフル活用

バッテリーの劣化を防ぐためにも、iPhoneの低電力モードをずっと有効にしていたい。そう考えて調べてみると、ショートカットアプリのオートメーションが使えることがわかったので、早速設定。

いい感じ。…でも、少し問題があることに気づく。

自分で低電力モードを解除しても再度設定されてしまう。つまり低電力モードを解除するにはオートメーションをオフにするしかない。それと、撮影した写真がiCloudにアップロードされない。これは私的に困る。あとは、オートメーションが動く度に通知がくるのも変な感じ。スクリーンタイムのところで消すこともできるようだけど、再起動で設定が元に戻ったりとかであまりスマートじゃないらしい…。

少し考えてオートメーションを変更。「Wi-Fiに接続したとき」「Wi-Fiから切断したとき」とかもやってみたけど、今のところ一番しっくりきてるのは「電源に接続したとき」に「低電力モードをオフに変更」と「電源から接続解除されたとき」に「低電力モードをオンに変更」

こうしておけば、充電中に写真がアップロードされるので使い勝手がいいし、低電力モードを解除した状態て使うこともできる。

オートメーションが動いたときの通知も、充電するときにくるだけなのでそれほど気にならない。

うまいこと設定すれば、とっても便利に使えそうなオートメーション。iOSに搭載される前はアプリを買って使ってたなあ。近頃はヘルスケアに体重を記入するくらいにしか使ってないけど。