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のんびりしたい私のアタマノナカ

モノとの付き合い

モノは使い込んで自分を育てるためにあるのでは?

モノ自体を大事にして使いこなせないのは、あんまり良くないんじゃないか。

育ちのせいなのか、つい貧乏性が出てきて丁寧に扱い過ぎることが多いです。

綺麗に使うことはいいと思うんだけど、酷使されそうな毎日使うはずのモノでさえ、あんまり使わずに意外とそのままのカタチを保ってたりする。特に高価なモノとは遠慮して距離を保ってたりする。逆に一度傷がついたりすると急に親近感が出てきて使いやすくなったりすることもあります。

ずっと同じモノと付き合うのも素敵なことだと思います。

でも、そうするにしても、もっと自分の一部としてモノと付き合っていった方が楽しいんだろうなぁ〜と思った。

使うための道具はどんどん使って自分の糧にして、壊れてしまったら修理なり買い替えなりして次のステップへ進んで行く。そういう状態がいいのかなぁと。

今はもう、ここ数年も使わないのに、高かったからとか前は良く使ってたからとかの理由で手放せないモノもある。こういうモノは過去の自分に必要だったモノで、もう無くても大丈夫という話も聞く。

写真などの思い出の品もそう、全くアクセスする手段が無くなってしまうのは不安に感じるけど、今は必要性を感じないから一応メディアに記録してたりする。もっと時間が過ぎてから必要になるモノなのだろうか。

ずっと昔の人たちは、そんなにモノを持ったりしてなかったと思う。ごく一部の人を除いては。

そういう人たちの生活は寂しくて退屈なモノだったのか? そんなことはないんじゃないかな。

 

頭で考えてもわからないので、やってみましょう。

良く見かけるやり方は、
・本当に手放してもいいけど、すぐに手放せないモノは目につかないところに保管して忘れる
・時間を決めて、それまで使わなかったモノは手放す
・自分が扱えるモノの量は人それぞれ決まってるらしい。新しいモノを手に入れると他に扱えなくなるモノが出てくるので、それを手放すことを検討してもいい

大雑把にはこんな感じ。

 

でも、一度手に入れるとなかなか手放したくないモノもあるんだよねぇ。

持ってるだけでいいとか、手に入れるまで興味があって、手に入れてしまったら興味がなくなることもあるかもしれないし。ん〜ん、モノとの付き合いも奥が深いですな。