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書いて浮かべるブログ

のんびりしたいおいさんのアタマノナカ

それを人がするということ

たまに見てるブログに載ってた、エレクトーン少女を見て考えたこと。

コメント欄を見たり、あまり知らないエレクトーンについて調べたりしてると、

機器に演奏させることができる世の中で、敢えて、人が演奏するってことが気になった。

細かい調整を繰り返していれば、人を感動させる名演奏を自動で演奏させることができるようになるだろう。

でも、それでは聴き手である私たち人間は、おそらく満足しない。

これは、今の理論を使った機械では伝えられない何かが、私たちに伝わっているということではないだろうか。

もちろん、演奏者の容姿や動き、ライブ感など、耳から聴き取る以外の事柄が影響しているのは確かだと思うが、それ以外にも、楽譜通りに辿るたけでは伝えられない何かがあるということは、経験的に感じていることだと思う。

それに、感動を与えてくれる音楽なら、口パクの録音でも自動演奏でも良いように思えるのだが、実際は、その人が本当に生み出している生の音楽であることを重視する傾向があるように感じる。

これはどういうことなのだろうか?

音楽に限らず、他の事柄、例えば美術や書道などの芸術分野。それだけではなく、仕事の達成についても、その成果物よりも、その人の技や熱意を感じとって評価をしているのではないだろうか。

それどころか、成果物なんて全く関係なくて、その人から感じられる「何か」だけが評価の対象なのかもしれない。

いずれにしても、何かの評価基準で絶対的に決まっているものではなさそうだ。

ま、そういうところが、不思議で面白いところなんだと思うけどね。