書いて浮かべるブログ

書きながら考える

のんびりしたい私のアタマノナカ

無常

いつまでも同じじゃない、常に変わっていっている。

過去と今の自分が同じだと思うのは当然のことかもしれないけど、そうでも無いかも。食べるものによってハードウェアとしての体は変わり続けてるし、OSなどのソフトウェアにあたる部分(もしかしたらBIOS)も日々常にアップデートされているんだから。

そんなことを考えてるときに、ネット上で記事を見つけた。毎日の食事を同じにすると調子が良くなるというもの。さらに食事だけでなく、着るものやすることも完全にルーチン化することで余計なことを考える必要がなくなり、クリエイティブになれるのだとか。そういえば、ジョブズアインシュタインはいつも決まった服を着てたとかいう話を聞いたなあ。

どうでもいい決断を減らすことで集中したいことに専念でき、脳のリソースを必要な決断に回すことができる。そうなのかもしれない。欲しいものやしたいことがあったときに、少しでも安くしようとかどんなふうにやろうかとか考えるのをやめて、ただ手に入れる、始める。

下手すると買い物をするのに何時間、何日も掛けていた私には耳の痛い話だ。手持ちの予算が足りないならともかく、買えばいいものはすぐに買って使うべきということか。考えてる時間ももったいないけど、考えるのに使うエネルギーももったいない。人によってはショッピングを楽しんでるってことなんだろうけど、そうでないなら無駄なことを考えるなってことか。

無常って言葉があるように、世の中は変わりやすいもののようだ。そして多分私も変わりやすい。何か大きなことを成し遂げる人のように、他のことの変化を止めてまで集中したいこともない。それなら変わりながら流されて、どこにたどり着くかをほのかに楽しみながら暮らすのも悪くないんじゃないかと思う。

記憶

記憶力は低い方も勝ち。

世間では記憶力がもてはやされてる。その証拠に記憶力を試すテストがいろんなとこで行われてる。でも、ホントに記憶力が高い方がいいんだろか。優秀だと思うし、周りにいたら頼りにできるし、いいことばかりな気もする。

ただ、本人はどうなんだろ? 良いことをずっと覚えとくのは楽しそうだけど、悪かったことをずっと覚えとくのは耐えられないんじゃないかなあ。そもそも人は嫌なことを繰り返さないように、悪いことをしっかり覚える傾向にあるみたいだし。

そういう意味では記憶力の良くない、覚えの悪い人の方が幸せになりやすい部分もありそう。よかったことも悪かったことも忘れやすいけど毎日が新鮮、いつも同じことで楽しめる。でも、これもなんだか違う気がする。一歩引いてみると同じことしかしてない。他の経験もしてみたいよねえ。

じゃあ、経験したことはとりあえず覚えとく、それでも普段は無いものとして暮らしてく。ってのはどうだろう。思い出せないならもう一回やったらいいし、思い出したら過去を参考にするとか。頭の中のことは分かんないから、例えば日記は書く、写真は撮るけど見返さないとかそんな感じかな。良かったことも悪かったことも、他のいろんなことも、そのときには感じるけどもそのままにしとく。ふと思い立ったときに思い出そうとしてみるけども、思い出せないなら忘れる、思い出したら良かったあって感じに。案外良さげな気もするけど?

たしかに短い時間で多くのことが覚えられたらすごいとは思うし、尊敬するかもしれないなあ。あ、こういう気持ちがあるから記憶力の高さは評価されるんだね。

飽き

飽きるのは、少しやり方を変えて見たら?って意味。

慣れたことをずっとやってると飽きがくる。飽きが来ないようにするには慣れたことを変えないといけない。 でもここが面倒で、変える前にやめてしまう。それはできてもできなくても同じ。できるってのに慣れて飽きることもあるし、どうしてもできないってのに慣れて(ウンザリして)飽きる(嫌になる)こともある。

できるのに慣れたなら、簡単にはできないように難しくする。できないのに慣れたなら、簡単にできるように易しくする。ちょうどいい難易度がつかめるといいんだけど、それがなかなかできないから悩んだりするんだろう。

学習の仕方を教わるときにも、そこんところの調整方法を教えるべき。自分への課題の与え方がちょうど良くできれば挫折も少なくなるんでない?

人によって、褒める方が伸びるとか、叱らないとダメとかって話もあるけど、周りからの働き方より自分でアメとムチの頃合いを決められるような人間を育てるようにしませんか。そしたら自己肯定感を持てそうだし、承認欲求なんてなくなるんじゃないの。

話がズレた。結局飽きるってことは、自分の工夫が足りないってことなんだろな。

慣れ

慣れるって、無駄な力を使わないだけ。

普段しないことをしたりすると筋肉痛になったり疲れたりするけど、慣れてくるとそれがなくなってく。筋肉痛になるのは乳酸が溜まるからで、お風呂に入ってマッサージをすると良いとか言われる。精神的な疲れについては慣れていくにつれてシナプスが強化されるとかで、こなすのがだんだん楽になっていくらしい。

それって結局は、細かい物質のこととかは抜きにして見ると慣れるっていうよりやるのが普通になる、ってことなのかな。初めは全力でやろうとしてたことを、最低限必要な力に変えていく、要らない力を抜いていく。慣れるっていうより、余計な力を使わなくなるだけなのかも。それで疲れなくなる、疲れなくてもできるようになる。

最初からそうはできないのかな、最小限の力でやり始める。そうしたら疲れないで始められるのでは。疲れを感じたらやめる、あとは次の日にやる。そしたら疲れないまま続けられて、だんだんできるようにならないかな。

慣れたことでもなんでも、何かをするときには力を入れないようにする。気をつけないといけないのは、できるようになろうっていう気持ちじゃなくて、力んでないか疲れてないかを感じることだったりして。ただ楽な感じで続けてればできるようになるんじゃない?

このあいだ、思い出したことから

中学の部活か何かのときに、玉拾いをしながら同級生と話してたら上級生に叱られた。

「浮かれてるんじゃねえ!」って感じのことを言われたんだと思う。

たいしたことしゃないんだけど、たまに思い出すってことは、案外ショックだったのかもしれない。

ずっと真面目で大人しい人間だと思ってたけど、その頃までは元気で活発な子だったような気もする。


もう人生も後半戦。

そろそろ昔のことが思い出される年頃なのかもしれないな。

運動会のときに親が参加する競技で、走ってるときに父親が足を滑らせて転んだことを思い出したり、すべての種目が終わった後に家族で温泉に入りに行ったことを思い出したり。


もう少しさかのぼると、小学校中学年くらいのときのまだゲームウォッチファミコンで遊んでなかったときに、二階のベランダから棒に巻尺や磁石を取り付けて作った釣り竿で魚釣りのマネをしてみたり、裏面が銀色のフィルムのような素材で作られた選挙ポスターを使って剣を作って遊んだり。

くだらないけど、学習机の引き出しに入ろうとしてみたりもしてたなあ。


いずれにしても、毎日面白いことがたくさんあった。

今落ち着いている理由が、毎日面白くないからだとしたら、これからは頭の中に作ってきた当たり前をぶち壊す時期なんだと思う。

何かを知った気になってると見える景色が曇ってくるらしく、面白さが感じられなくなってくる。

毎日のように行く散歩道でも、初めてのように歩くと新鮮味があるはず。

なのに、飽きたように感じられて出掛けるのをやめてしまう。

朝起きたときに、今日は昨日とは違う、新しい一日が始まるはずなのに、いつもと同じ日々が続くように思えて憂鬱になってしまう。

どうしてなんだろう。


体としては規則正しい生活をした方が健康を保てそうだけど、頭は不規則で予想もつかないような非日常を求めてるのかな。

年齢を重ねれば重ねるほど、ますますその傾向が強くなっていくように思っていたけど、どちらかというと頭は予測できない生活というよりも、思考に囚われない状態にしておくのがいいように感じた。

そうすれば、いつものパターンで考えを進めることもなくなるのでは。


とかなんとか、どうでもいいんだけど、寝る前に浮かんだ適当なことを書いてみる。

さて、寝ます。おやすみなさい。

お題スロットより「朝ごはん」

お題「朝ごはん」

うちの朝ごはんはいつもパターンが決まっている。どこのウチでもそうなのかもしれないが。

フルーツ入りのカスピ海ヨーグルト(牛乳を入れて作ってる)にカルピス、あとは自家製パン。

このパターンがほとんどだ。

以前はコーヒーをよく飲んでいたのだけど、なんとなく飲まなくなってからはカルピスに変わっていた。

だいたい朝はしっかり食べるので、お昼が近くなるまでは空腹を感じることはない。

今思えば、学生のときになかなか授業に集中できなかったりしたのは、勉強が面白くなかっただけじゃなくて朝ごはんにも原因があったんだろうと思う。

当時は朝起きてから通学までの時間がなく、ギリギリまで寝ていたこともあり、朝ごはんに時間を掛けることができなかった。

それに、食べていたのは今と同じようにパンと飲み物だったのだけど、パンが大手製パンメーカーのスカスカな食パンだったので厚切りを2枚食べてもたいしてお腹にはたまらなかった。

だから、パンなんてものはそんなものだと思っていたのだ。カロリーは充分以上にあるのにお腹にはたまらない。ただ見た目だけ大きく膨らませて、いかにもちゃんと食べていると思わせる技術に凄さを感じる。

でも、妻の焼くパンや一部のパン屋さんのもの食べるようになってからはすぐにお腹が空くようなことはなくなった。むしろ、お米よりも腹持ちがいいんじゃないかと思うくらいだ。

もし、昔の私と同じように軽い朝食をとっていて、午前中は授業や仕事に集中できない、というような人がいたら、朝食をスーパーの食パンや菓子パンで手軽に済ませるのを止めにしてしっかりとした食事をとることを進める。

あの時は子どもだったから、というのは言い訳に過ぎない。少なくとも中学生になる頃の歳になれば自分の食べるものの自炊くらいはできるはずだ。

人のせいにするのは勝手だが、しっかり食べて、ちゃんと学ぶことはできただろう? 今はこの言葉を自身に言い聞かせているところなのである。

お題スロットより「最近見た映画」

お題「最近見た映画」

最近見た映画といえば、レンタルで「怪物はささやく」を見た。

見たくて借りてきたわけではないし、家の人が借りてきたものなので内容については詳しく説明しないが、男の子と木の怪物が出てくるお話だ。

うちではそれぞれが見たい映画をレンタルしてきて、でも一緒に見ることが多いのだけど、個人的には怪物の見た目が怖いともカッコいいとも感じなかった。大きくてそれらしい声を発していた。ただ、後々なにかのときにシーンが思い浮かんでくる映画なんじゃないかと思う。

面白かったり充実感を得られる映画の場合は、見終わったらそれで完結して「そんな映画見たっけ?」ってくらい後に何も残らない作品もあるけど、それとはまた違った感覚といえばいいのかな。

どうしてこの映画を借りてきたのかは知らない。パッケージを見てなんとなく決めたのかも。私もそういう選び方をするので人のことは言えないけど。

なんとなくってのは面白くて、たまに当たるときもある。内容をよく知っているものに期待すると、期待通りなら当たり前過ぎて面白くなく、期待ハズレならガッカリする。

期待を超える面白さが来ればいいんだけど、よく知ってるジャンルだから滅多にそんなことはないみたいで。

それなら、ってのが「なんとなく」のいいところ。よく知らない内容だからこそ当たる可能性が高くなるのかもしれない。

ゲームとかでもそうだけど、期待しないで始めたのに面白いときがある。期待して無さを良い意味で裏切ってくれるのかな。周りの評判が低いほどその傾向は高い気がする。

まだ幼い子どもならともかく、それなりにいろんなものに触れてきたおいさんには、「あえて、いま興味のないことに触れてみる」ってのが必要なのかな。

たまには、一体これどんな映画なんだろ? というくらい訳の分からなそうな映画に裏切られてみてください(「怪物はささやく」がそのような映画というわけではありません。私があまり見ないタイプの映画だったということです)。

今週のお題より「わたしの節分」

今週のお題が「わたしの節分」ということなので少しだけ。

今年の節分は、というか今年もいつものように手巻き寿司を作ってもらったので、それを恵方巻きとしていただきました。

今年はおそばもいっしょに。 なんだか節分にはそばを食べるものだとかで。

スーパーには恵方巻きがたくさん並んでたみたいだけど、みなさんはそういうのを買って食べるのかな。

旧暦では次の日から新年なのかな。春になるっていうけど、ここみたいなめったに降らない地域にも雪が降ったり一番寒いじゃん! っていう時期。

去年は珍しく雪が降ったけど、今年はもう春が来るんじゃない?ってくらいの陽気でなんだか変な感じ。

まあ、あとひと月くらいはあったかくなったり寒くなったりを繰り返しながら春に向かってくんだろね。

そうそう、いつも通り鬼のお面を被らされて豆攻撃も受けました。うちの犬はこのお面が嫌いで尻尾を巻いて逃げて行っちゃった。

パピーの頃に見せたのがトラウマになったのか、もう克服はできないっぽい。赤いのが嫌なのか鬼の絵が嫌なのか。こうなるとお面を外しても誰だかわからなくなるようで、いっとき怖がってる。

もう一頭の方は何してんのー? ってな感じでまったくお面のことは気にしてない。私が鬼になっててるのはお見通しのようだ。

ところで、鬼は見えないって話を聞いたんだけど、じゃあ何で私は毎年鬼の役をやってるんだろ? そんなようなことを思った節分でした。

iPhone XRよりiPhone8が売れる

これは良くないという考えかたもあるんだろうけど、iPhone発表のときにAppleは、毎年買い換えなくていい、って言ってたくらいだからこういう事態も想定済みなんじゃないかな。

生産を控えたのも、単に需要に合わせただけでは。
たまに予想外にヒットして急遽増産するクルマがあるように、市場は予測不可能なもののようだから。

そりゃ、新製品が売れるに越したことはないけど、旧モデルが売れても心配ない、ってことなんだろうと思うし、ラインナップのどれが売れてもいいように利益を調整してあるんだと思う。

そう考えてみると新型iPad Proが高めなのはもっともだし、ちゃんと思惑通りに売れてるんじゃないだろうか。

iPadでMacBookを上書きしないでほしい。

iPad Proはそれなりに売れてるようだけど、MacBook Airの方はそうでもないらしい。

あくまでも私の感覚だけど。

で、なんでMacBook Airはそんなに大人気になりそうにないかというと、既に完成したマシンだからだろう。

それと比べるとiPad Proの方は、まだ未完成。どうなっていくのか楽しみ。

でも、できれば本体にたくさんのマグネットを搭載して、ペンやキーボードと一緒に使うのが当然という提案の仕方でなくて、もっと新しい方向へ進化してほしいと思う。

だって、少なくとも本体とペンしか使わない人に大量のマグネットは必要ないでしょ?
どちらのマグネットも、理想としてはペンとキーボードに内蔵すべき。

そのうちiPadMacBookの代わりになるってことなのかもしれないけど、もっと全く新しいコンピュータを再発明してもらいたい、と考えるのは贅沢なのでしょうか。

RetinaのMacBook Airについて思い直したこと

改めて考えてみると、と言うか思い直してみると、新型のMacBook AirでもProでもどっちでもいいような気がしてきた。

どうでもいいと言う意味じゃなくて、Appleの製品ってのは変わりないわけだから、実際に見て触ってどれがいいか決めればいいだけのことだと思う。
それに、遅いと言われるモデルであっても、ただ遅いというだけでしたいことができないようなモデルは売られていないから心配はいらない。

思えばMacBook ProRetina化されたときに13インチモデルを買おうと思ったのだけど、この目で見て買うのをやめた。

そのときはMacBook Airの13インチを使っていて、Proを触ってみたり持ったりした感じが私にはなんか違うと思ったからだ。

そのAirは、MacBook 12インチに惹かれて買った後には使わなくなったので、まったく不具合もなくバッテリーの使用回数も少なかったがApple Renewプログラムに出してギフト券と交換してもらった(家族にも使わないか話したが、13インチは小さいとかで要らないと言われた)。
Airの方がバッテリーの持ちも速度も勝っていたが、圧倒的に12インチを使うようになった。Retinaという点が有利に働いたのだろうが、ファンが回るのが嫌いというのもあるかもしれない。

前回は価格とか性能とか批評家の目で見てしまったが、結局のところ触っていたくなるモデルであるならそれを使うのがいい。

そのときは、たとえ予算オーバーだったとしてもApple Storeの12回払い分割金利0%ショッピングリーンを利用したりしてしっくりくるモデルを手に入れるべきだと思う。

もしMacの選択で悩んだときには実際に触ってみることをお勧めしたい。そのときの感覚でピンと来たものがあなたにとっての正解だ。いくら周りの人が他のお得なモデルを勧めてきたとしてもその言葉には耳を貸さないこと。それが後悔なく買い物をするための秘訣であり練習にもなる。

そして個人的には、画像を見た限りAirもProも含むMacBookよりもiPad Proが気になるというだけのことで、発売されてから触ってみれば一瞬でわかることだと思う。

誰かに話をすることで疲れさせたりしないでほしい

人って、あったこととか思ったことを話したくなるらしい。

別に人間相手じゃなくても飼い犬でも紙に書いてみても、場合によってはぬいぐるみだったり独り言だったりすることもあると思う。

楽しい話なら聞いてくれる人はいそうだけど、面白くない話や愚痴みたいなのは多分誰も聞きたくない。

人の話を聞くのが仕事の人もいるくらいだから、聞くだけ聞ける人もいるんだろうけど。

だったら、誰かに話をしてってのをずっと繰り返した最後には、聞き上手でどんな話をされても自分の気分に影響されない人がいないと困る。

もしくは誰にも聞こえないところで愚痴を言って鬱憤を晴らさないと、最後の人が辛い。

話す方としては、誰かに伝えて共感してもらえることでその思いが昇華されるんだろうけど、話された方は嫌な記憶が呼び起こされたみたいに気分が悪くなる。

できたら気分のいいことだけ話していたいんだけど、嫌なことは感情が動かされることでパワーを持ってるんだろね。

気分が悪くなるから愚痴は言わないで!って言ってみるのもいいんだろけど、その前に黙った方が良さそう。

嫌な気分になってるのは動揺してるから。そのまま放っておいて治まるまで見守っておく。

動揺したままだと頭の中の嫌な記憶が即座に反応して余計なことを言ってしまったりする。

アンガーマネジメントについての本に書いてた、怒りだって6秒待ったら治まるって。

沈黙は金ともいうし。

こうやって書いたりすることはあるけども、口に出して話し過ぎるのは控えていきたい。

やたらと話してくる人がいたとして、話を聞いた後にどっと疲れを感じるような相手には、態度で示すか一度ハッキリ聞きたくない旨を伝えた方がいいと思う。

そうしないと話を聞いてくれる人だと思われて、マイナスエネルギーのはけ口にされてしまいそうだから。

これって一種の呪文とか魔法みたいなもんだよね。

MacBook 12インチがなくなるときには、AirじゃなくてProかiPad Proがいいかな。

情報サイトによると、どうやら新しいMacBook AirのプロセッサはYシリーズのチップをクロックアップして使ってるらしい。

どちらかというと、MacBook 12インチ的な性格なんだろう。
ということは、性格が被り割高なMacBookはそろそろラインナップから外れるか、価格が下がるかするだろう。
価格を下げるとすれば、10万円を切るか少なくても10万円台でないと存在価値はない。

MacBook 12インチが前のMacBook Air 11インチあたりの価格帯になれば、せいぜい論文を書くためにしか使わない大学生にもちょうどいいエントリーモデルとなる。

Appleの購入ページを見るとAirは11/6までには出荷されるようだ。
あんまり売れてないのかも。

それと比べるとiPad Proは、ほとんどのモデルが2〜3週間の発送。
iPadの方が出荷数が少ないのかどうかはわからないけど。

先ほどの10万円というあたりを考えても、iPad Proの256GBの価格くらいがMacBookにふさわしい気がする。

Airを好きな人がたくさんいるから期待に応えて発売するのか、それとも本当に必要なラインナップだと思っているのか。
それに、今回もファンレスではないようだ。だったらもっと高速なプロセッサを積んできてもいいのでは?
素人には中途半端に思えて仕方ない。わざわざAirの名前を使う必要があったのか。

Airもいいけど、新しい体験をしたいという意味ではiPad Proを使いたいかな。
iPhoneでもiPadでも、どちらも学業にだって役立つし、それなりの長さの文章も書けるでしょ。

iPad Proは何か未来を見せてくれそうな気がするが、MacBook Airにはそういうものが感じられない。
確かにMacBook 12インチと比べるとお得なのだが。

もしかしたら、Airを使っている人への買い替え需要のために発売されるのかもしれない。
そう思ってしまうのは、私だけだろうか。

新しいiPad Proに惹かれるところを書き出してみる

新しく発表されたiPad Pro 11インチと12.9インチ。

ベゼルが薄くなったり、エッジのラインが変わったりしたので、手に持ったときの感触はこれまでとは違ったものになるんだろう。

だからといって旧モデルとまったく違った体験をさせてくれるのかというと、そんなことはないと思う。

より薄くなったとかUSB-Cとか、Face ID搭載とかはどうでもよくて(←たぶん実際使ったら惚れる)、私としては、A12X Bionicを体感するために使ってみたいというのが本当のところ。

だって、iPhone XS MaxにXS、XRより速いプロセッサなのに割安なんだもん。

それにストレージが1TBまで用意されてるのって、いくらクリエイター向きだからっていっても、もうこれはノートPCと同等の扱いでしょ。

これはもう、以前みたいにMacBookiPadも両方持ってるなんてのは必要なくなって、MacBookiPadのどっちかがあればOKな時代になってるんじゃない?

私がMacBookよりiPadが好みなのは、まずバッテリーの持ちが違うから。iOSMacOSと比べてバッテリーの持ちがいい。Intelさんの搭載をやめれたらバッテリーは持つのかもしれないけどね。あと、ノートPCはキーに隙間があって塵が入りそうなのがイヤ。

将来的には、現状iPadのタッチ操作ではまともに動かないブラウザ上のUI問題が解消されることと、何らかの形でBlu-rayやDVDの読み書きができたらiPad Proだけの生活になりたいと思ってる。そういう意味でもUSB-Cは良い方向。でも外部ディスクは使わないようにするのが正解だろうな。

いま思い付くのはこんなところかな。
何にせよ、触ってみるのが楽しみではある。

RetinaのMacBook Airが来ましたよ。

新しいMacBook Airが発表されたので、個人的に気になるラインナップを比較してみる(ストレージは256GB)。

MacBook (New)13インチMacBook Air 13インチMacBook Pro(Touch BarとTouch ID無し)
薄さ0.35〜1.31 cm 薄さ0.41〜1.56 cm 薄さ1.49 cm
0.92 kg 1.25 kg 1.37 kg
142,800円 (税別) 156,800円 (税別) 164,800 (税別)
-14,000円 +8,000円

AirとProの幅と奥行きは同じ

あれ? 割高に思えたMacBookだけど、やっぱりベースグレードだったのね、って感じになった。

気になるのはAirとProとの価格差。
世代が違うとはいえ、この価格差ならProを選ぶのでは?
ただし、Touch IDが欲しければAirが最も安価。

で、もしそのうち、将来買い換えるとしたら、最新のMacBookかなあ。
Airファンレスなら考えるけど、そうでなければProを選ぶ。
なんといってもAirは名前の割に一番分厚いのです。
(もちろん、旧Airよりは薄い)

そのときには無印のMacBookがラインナップから外れてたりして。

一緒に発表された11インチのiPad Proと新しいApple Pencilもいいなあと思うけど、去年買ったばかりだから買い替えは無しの予定。
エッジの形が変わってるから、発売されたら触ってみたいもんだ。

買い替えを検討している人はどれを選ぶかで頭を悩ませそう。
それでも、RetinaAirを心待ちにしていた方は、迷うことなく新型Airで決まりでしょうね。