いくら考えても絶対にわからないのは、経験が足りないから。
判断するための材料が少なすぎるのだ。そんなときは考えることに時間をかけるより、なんとなくでいいからまず決めてやってみる。ある程度の経験を積んで材料が溜まってきたら考えることができるようになっていく。そうではないだろうか。
それなのに、想像くらいしかできないことについて一生懸命に時間をかけて考えたりしてしまう。それはどうしてなのだろう。
簡単な計算問題を解くにしても、初めから眺めているだけでは答えはわからない。まずは手を動かして計算を始めないといけない。数式をじっと見ているだけで答えは出てこないのだ。なんども練習問題を繰り返し解いていると、そのうち問題を見るだけでなんとなく答えがわかるようになってくる。そのために練習をするのではなかったか。
例えば、160g入り198円(8%税込)のウインナーAと、248g入りで298円(8%税込)のウインナーBがあったとする。100gあたりだとウインナーAは123.75円(8%税込)、ウインナーBは約120.16129円(8%税込)だから、ウインナーBの方が少し安いのだけど、ウインナーAが好みならそっちを選べばいい。しかし、グラム単位の比較ができない人は(そんな人は滅多にいないだろう)いくら商品の値札を眺めていても、あくまで重さあたりの価格で判断するならばだが、どちらがどうなのかなんてことはわからない。
ということは、比較検討の基準や方法をまだ知らない人が、初めて触れる出来事のことをいくら時間をかけて考えても、ちゃんとした答えなんて出るわけがないのである。もし正解が出るとすれば、それは「運」くらい。だったら、最初からよくわからないことを決めるときにはコインの裏表に任せるほうがいいのではないかと思う。わからないことを悶々と考えるだけエネルギーの無駄遣いだ。
安かったら買うけど、というのも同じようなものだ。以前にも書いたことがあるように、安ければ買うというものはなくてもいいものなのは間違いないだろう。でも、安いのが気になるなら買ってみればいい。気になっているのにどうしようかと考えるのは無駄なこと。先ほどのようにグラム単位で比較できるのならともかく、比較する対象がない状態で何を考えるのだろう。そんなに気になっているのなら、手に入れてしまえばいいだけである。買えるだけの予算がないならまだしも、考える必要すらないことだと思うのだが、いかがだろうか。