書いて浮かべるブログ

書きながら考える

のんびりしたい私のアタマノナカ

使ってみないとわからない

物欲に対する言い訳だけど、モノは買うなりなんなりしてある程度使ってみないと何もわからない。使ってもないのにあれこれ考えても、今現在の自分で考えているわけだから使ってみたときのことを考えることはできない。

頭で考えているよりも、モノの存在は私たちに影響を与えてくる。使わなかったとしても、そこにあるだけでなんらかの影響を与えてくる。

昔なにかの本にも買いてあったことだと思うけど、そういうことはあると思う。

本でも、クルマでもバイクでも、PCでも。自分の使うモノでなく、親や兄弟などの家族はもとより交友のある人のモノからでも近くにあるだけでなんらかの影響がある。

私の月並みな例では…、友人の乗っていたクルマに影響されライトウェイトオープンに乗ることにした。そうすると連鎖が起こったようにその思想に気づき、その世界に魅了されてしまった。簡単に言ってしまうと屋根が無いだけなのに頭の中が変わったというか、新たな領域が開拓された。

そのうち、弟の持っていたバイクがあまり稼働していないことに目を付け、乗らないなら乗せてくれと言い、全く興味のなかったバイクの免許を取って乗ることにしたら、これがまた良かった。オープンカーよりもさらに体をさらけ出し、風や雨、暖かさや寒さ、匂いを感じて走るのにハマった。知らない土地を走り巡った。

PCもそう、ありきたりな話だが、Apple製品を使うようになって自分の考えてることに注目するようになったように思う。

自動車評論家か何かがダッシュボードなどの内装について語っていたのだけれど、操っているときにスッと存在が消える、そういう風に作られている、という話が載っていた。

そこにあるだけでなんとなく満たされたような気になる。使ってみるとその存在は消え、道具としての役割に徹する。手放した後でもずっと近くにあるような心地良い記憶が残る。

 

ただ、そういうモノだけが良いモノだと言いたいいわけではない。

そういうことに気づかせてくれるモノ、最適なモノがあるというだけだと思う。
一度そういう感性を目覚めさせてしまえば、他のモノについても違った観点で接することができるように思う。

以前使っていたモノでも、改めて接すると新たな発見があることは良くあること。

使ってみないとわからない。モノを迎え入れるときは困難だったり悩ましかったりするが、モノを手に入れるということは、自分に影響を与え、変化させてくれることでもある。

 

…ってことで、ふと過去のモノたちについて空想に耽ってしまいました。

まあ、十分検討して、その上で一緒に付き合ってみたら楽しそう!というモノと暮らしていけたらいいんじゃないかと思っています。

今は新しいMacBookApple Watchについて考えてたんですが(笑)