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のんびりしたい私のアタマノナカ

飽きるということ

佐々木 正悟さんの『「ロボット」心理学 』を読んで考えたこと。

 人はネオフィリア、新しモノ好きなものらしい。
子供の頃から「飽きやす好きやす」で同じことを繰り返すのはイヤだった。
かといって、全く違うことをするのもイヤだ。

しかし、その習性を押し殺して、変化を好まず、同じモノ・環境で過ごしていると、その人らしさが失われていき、考えてることも解らなくなってしまうのだと思う。ただ、本人の捉え方が変わりさえすれば、モノや環境を実際に変える必要はないのかもしれない。

新しい認識をする。認識の再確認。気づき。

そういうことをしていくことができれば、頻繁にモノを買い換えたり、引越しを繰り返したりしなくても、新しモノ好きな性質を満たすことができるのだろう。それがうまくできなかった場合を指して、器用貧乏とかいうあまりいい意味で語られない状態をいうのだろう。別に器用貧乏が悪いわけでもないと思う。ある程度広く浅くこなしていくことが必要な生き方もあると思う。

逆に、不器用と言っていいかはわからないが、やっているうちに段々と上手くこなせるようになり、そのことに楽しみを見出して、それを追求していくということもあるだろう。その追求していく中に新しいことを見つけながら、端から見ると同じことを繰り返しているように思えるかもしれないが、当の本人としてはどんどん新しいことに惹かれながら続けている、というパターンもあるのだろう。

どういうパターンでもいいのだけれど、自分が興味のある事柄のすべてを「ロボット」の自動処理だけに任せないように自覚しておくことが大切なのだろう。

興味のあることを追い求めていく。それは、社会的に良くないと言われていることかもしれない。
でも、それでも、その好奇心を最大限に働かせて生きるしかない。
さもないと、近年の社会現象でもある、鬱などの精神的な問題に悩まされる可能性もありそうだ。
その方向に進みたい、そうやって生きていきたい。その思いを押さえ込んで、社会的に良いと言われる人生を生きる。そういうことをしていると、続けていると、心からの反逆が起こると考えている医者の記事を読んだこともある。

常識だけでは生きていけない。心のいうことにも耳を傾けながら上手く生きることが大事なのではないだろうか。当たり前のことなのかもしれないけど。

人は新しモノ好き。Apple Watchも使ってみたくなるのでしょう…。