まず思って、考える。
例えば、「思い」ってのは、
フッと浮かんでくる、数字の0が1になるような、何もない状態から生まれてくるようなもの。
それと比べて、「考える」ってのは、
問題解決や、比較、検討のような、何かの課題についておこなうもの。
そんなものだと決めてみる。
すると、まだ思いが意識できていないのに考えようとするのは、思うことを妨げてしまって、しっかり考えることもできないんじゃないか、と予想できる。
だから、正しい・正しくない、良い・悪いとかの判断を考える前に少し待ってみて、思いが膨らみきってしまうのを眺めてたらいいんじゃないかな。
「思い」ってのは、本心の希望のようなものと考えられるから、そのままでは妄想のようなもので、実現するのが難しいものもたくさん含まれてる、はず。
「考える」ってのは、それを何とかしようとフル回転してくれる。
ただ、暴走するとネガティブまっしぐらもありえる。
「思い」がうまく実現できたとき、固定観念のようなものに気づかされることも。
これが「気づき」ってやつかもしれない。もともと存在しないけど、こだわってたもの。
こういう、気づきがあるたびに、「考える」ってのはいつも良く働いてくれてるんだなぁ、と感じる。
でも、そんなに働き者でなくてもいいんだよ?
何かあったときだけ、こっそり手を差し伸べてくれるくらいで十分なんだよ?