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のんびりしたい私のアタマノナカ

労働時間

・時間をお金に変えたい人に制限は要らない

自分から動くのならともかく、誰かに決められたように働くのが好きな人っているんだろうか。

中には指示を受けて動くのが生き甲斐という人もいるのかもしれないけど、大抵は仕方なくやっていることが多いんじゃないか。

その仕方なくやってる人たちを守るという名目で、残業時間の規制を強くしようとしてる。あくまでも規制が強くなるだけで、禁止するわけではない。

人を動かす立場の人なら、時間の制限をされるのはたまらないだろうし、働きたい人も時間の制限は受けたくない。そもそも時間で労働の制限をするのは的外れでしょう。

やることをやってくれたら、極端な話1時間だけ働くでもいいし、何時間かけても終わらないなら何時間でも、もしくは0秒の労働でもいい。人を動かす側からしたらそんなもんじゃないだろうか。

でも世の中にはいろんな人がいて、お金のためだけに働く人もいれば、お金はたくさんあるから要らないんだけど働きたいとか、タダでも働くって人もいるようだからさ。効率や成果を求められない仕事も多分必要なんだよね。

周りが働いてるからそうするとか、自分だけ違うのは嫌だとか。学生の中にいるといわれる、人に会いたいから仕事に行くとか。サッパリ理解できないけども、それぞれいろんな理由がある場合もあるだろう。

少し前に話題になった、定年退職後にすることがなくて困るという人たちと同じような心境なのかもしれないな。

生活するのには働く必要がないけど、人と会いたい話したいという人たちにはぜひ接客業についていただきたい。接客などのサービス業は常に人手不足らしいから。もちろん年齢などの制限もどんどん取っ払ってください。

で、労働の成果なんだけど、目に見える形で結果が見える仕事ってそんなにないと思うから、判断するとすれば売り上げとか、有給取得率、態度とかになっちゃう。どうでもいいよね、そんなただのこじつけみたいなの。

ただ人を雇ってたら、そんなこととか気に入った人にお給料多くあげたくなる気持ちはみんなよくわかるんじゃないかな。

売り上げだけっていっても、公平な判断はできないでしょう? だって、お店に物を買いに来る人だって店員さんだけを見て買うかどうか決めてるわけじゃないんだから。

たまたまお店に行ったときにその店員さんがいて、高額商品を買ったら店員さんの評価が上がるとしたら、その評価ってその日のシフトのおかげもあるでしょ。それって最終的には運なんじゃないかな。

まあ、ある仕事に就いて、成果をあげて、評価されて、財産を築いて。ってのも全部運が絡んでる気がするからなんともいえないけど。

それに、その人がそういったことに幸せを感じる人かどうかはわからないけど。それこそ運かもしれない。

そんなこんなで、労働時間で制限をかけるあたりがまあ妥当でしょう、ということなんでしょうけどもね。