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のんびりしたい私のアタマノナカ

らしさ

・女性らしさ、男性らしさとか要らない

人の中には男性らしさと女性らしさが同居しているらしい。というより、「らしさ」ってのは勝手につけられたラベルみたいなものなんだろうけど。

身体的に性別を分けようとするのがよくないんだろうし、明確に分けられるわけでもないところが難しい。頭の中と身体が一致してればいいんだろうけど、生きてるうちに両方が混ざるというか、そもそも両方ともあるのが人間なんだろうから、誰に都合がいいのか知らないけど「らしさ」で分けようとするのがそもそもの間違いだと思う。

女の子はピンクとか、男の子は水色とか色に関する決めつけも多いと感じる。個性を大事にとかいうけど、その子と親がそういう考えでいても、周りの対応がなんだか変わったものを見るような態度だったりするんじゃない? 重たいものを持つとか、性別の影響する身体能力で適性を分けるのはアリだけど、精神的なものを性別で分ける必要はないでしょう。手先の器用さにも性別は関係なさそうだし。

まあ、誰もが認める、女性像や男性像になりきったって、長くて100年くらいしか生きられないんだからどうでもいいような気もする。人によっては40年も生きれば、あとは惰性みたいなもんっていう人もいるだろうからね。

嫌いな言葉の一つに「男のくせに細かい」というのがあるんだけど、ただ細かいだけなのに、なぜ「男のくせに」が付いてくるのか。それはこの言葉を使う人の男らしさのイメージに、男は大胆という雰囲気が含まれているからでしょう。でも大胆と雑は紙一重だし、細かいと丁寧もそう、ただそのときの性質を表現しているだけで、身体的な性別とは一切関係ないはず。

どっちかというと細かい人を大胆に、雑な人をお淑やかというように性格のようなものを反対方向へ変えさせるきっかけとして使う言葉なんだろう。ただ、子どもがこういったイメージに合わない場合は、悩みにつながってしまうことがあるので注意。「◯◯らしさっていうのはあるけど、別にそれに合わせなくてもいいよ」とか、広い世界に目を向けさせてあげた方がその子のためになりそう。

いっそのこと両性に変化できたり、性別なしの方が余計な苦労がなくていい気もする。本能との分離がなくなって生きやすくなったりしないかな。でも今のところはそう簡単にもいかないので、どれかの「らしさ」に従ってた方が楽ってことになっちゃうんだろうな。