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のんびりしたい私のアタマノナカ

見やすさ

・見やすさにもその時々の相性があるらしい

参考書を見ていて感じた。やっぱり2色刷りだと見やすいと思ったり、2色刷りでもそうでもなかったり。モノクロでフォントが太字になってるくらいで、フォントサイズにもそれほど強弱がない割には不思議と読みやすくて頭に入ってきやすかったり。

小説でも、内容には興味があるのに文字がギッシリ詰まってる気がして読むのが辛いときもあれば、辞書の中でも小さな文字がギッシリ詰まってる割にはなぜか見やすいものもある。

フォントの違いなのかな? と思ったけど、そんなに違いがあるとも思えない。でも、ほんの少しのフォントの違いがたくさん集まって大きな違いになってる可能性はあるだろう。

こういうところは、文字の大きさや余白、フォントを変更できる電子書籍が得意とするところなんだろうけど、本の内容によるのかどう設定しても何か違う感じがしてしまうものもある。電子で読みかけだった本の紙バージョンを見てみると、大変読みやすかったりしたこともあった。

紙の本を読むときには、大きさに厚さや綴じ方、紙の厚みや質による触感だけでなく、紙や接着剤の匂いも感じているからだろうか。

以前は好きな本だったのに、改めてみるとそうでもなかったりすることもあるし、買ったけど読めなくて本棚に置きっぱなしだった本を何気なく開いたらあっという間に理解できた、とか読み終えた、なんてことはよくあることだと思う。

紙の本の全体的なイメージと、その時点での興味が一致しているときに読むと頭の中にスッとインストールされるんだろう。

そういう意味では読みたい、と思ったときにすぐ手に入れて直ちに読み始めるのが一番。まずは図書館や古本をチェックしようとか、ポイントが貯まってからとか、ネットショップの割引セールのときに買おうとか考えていると、安く手に入れることはできたとしても、そのときにはもう頭の中の興味の扉が全開ではないかもしれないので、楽しみの減少は避けられないのでは。

大前提として、レイアウトやフォントなどの要素はとても大切。それらが優れていると、たいして興味のない本でも読ませられてしまう。だけど、値段が高くてミミズが這ったような文字が詰まってて、古くて紙の色が変わって形の崩れた本でも、興味があって読みたい本であれば、それらの一見ネガティブな要素は何の障害にもならない。読める状態であればいいから、少しでも綺麗な中古本を探したりする必要もない。

見やすいかどうかってのは、興味があるかどうかを教えてくれるものでもあるんだろうな。