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のんびりしたい私のアタマノナカ

遅咲き

・年齢と成功とは、そもそもほとんど無関係

年齢とは、知っての通り「生まれてからの経過時間のこと」だそう。生まれて間もないあいだのものは無限の可能性を持ってるように感じるし、周りからもそういうふうに扱われる。終了するまでの時間が長く感じられるからだろう。まあ、当たり前に感じがちなこと。一般的には。

少なくても今の人の考え方はそんな感じ。商品だって新しいうちは価値があるとされるから、値段も高いし欲しがる人も大勢いる。古くなってくると終わりが近いと感じるから、興味を持たれなくなるし、次の新しいものを手に入れようとしたりする。

聞いたことある話では、不老不死はツライものなのだとか。同じようなことを繰り返しながら、ただ永遠の時間を生きていくだけだから、ということらしい。同じようなことを繰り返さなかったとしても、自分のままで永遠を生きるのは耐え難いことなのだろうか。

大きな変化を起こすために、すべてを一旦終了させる。今まで引きずってきたしがらみを少しでも多く捨てて生まれ変わりたい。そんな欲求があるんだろうな。だから寿命を自ら仕組んでるんだろうし、年老いた人よりも若いものに希望を感じてしまう。年をとってから成功した人の話を聞いて励まされるのは、同じく年をとってしまった人たちが誰かに慰められているような感じがするからだろう。

ふと思うのは、人生の花が開くのが遅かった人が、一生花の咲かない人と同じ生き方をしてきたわけはないだろうってこと。やはり成功する人の生き方は、そうはなりそうにない人とは違ったものだと思う。何かのための努力を重ねていない人ほど、ただなんとなく年齢を重ねてしまっているから、遅咲きの人の話を聞いて励まされてしまうんだろう、私のように。

なんとなく生きるのも悪くはない。でも、何かで成功したりやりきったと感じたい人は、誰かの成功物語を見て嬉しくなったり、まだまだ自分は大丈夫と思ったりはしない。そんな時間があるなら、やることがあるはずだから。

年齢なんて生まれてからの時間を数字で表しただけのもの。何歳でどうなったとかそんなことはどうでもいい。本気で何かをやろうとしてからの時間が大切なわけで、漫然としていた期間を計算に入れちゃいけない。

年なんて、忘れるくらいに意識しないほうがうまく生きられると思う。年齢を書かないといけない書類のために生まれ年くらいはどこかにメモしとかないといけないけど、覚えておいていいことはあんまりない。

年齢を気にして、今さらそんなこと始めるなんてとか人の目を考えなくていいから、いつでも思い立ったときにやり始められる。やり始めたら失敗するのは当然だし、やめたくなったらすぐやめればいい。でも、また始めたくなったら始めること。

なんてことないことなのに、どうして年を気にしてしまうんだろう。考え方を変えようとしても変えられないときには、いくつになっても成功できるという言葉で自分を励まし続けるより、いっそ家具でいうところのアンティークを目指した方がいいのかもしれない。

まあ、ハッタリの家具なんだけど。