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のんびりしたい私のアタマノナカ

ひとり

・巷でいわれているほど、ひとりは怖いものではない

近頃、本のタイトルや雑誌の特集などで「一人の時間が大切」とか必要とかいう話を見かける。ここは宣伝をする場所ではないので、本や雑誌の紹介をすることはしないが。

一人はお嫌いですか?

孤独という言葉のイメージがあまり良くないというのもあるだろうけど、寂しさを感じるかどうかが違うだけで、状態として一人でいることに変わりはない。

一人でいるとはいっても、完全な一人になるわけではない。一人でいるということは、感じていることや考えていることを直視することになり、結局のところ自分と向き合うことになるからだ。

どうやら、自分と向き合うのが嫌いな人は多いらしい。考えていることから目をそらすために、人が多くいるところや刺激の多そうなところに出掛けて行く。

自分の考えを持たなくても、誰かに合わせていれば楽だから。自分の力で何かをしなくてもよいような気がするから、なのだろうか。

一人のススメ

確かに、一人でいる時間も必要。でもそれは、文字通りにいつも一人で行動するとか一人暮らしをするという意味ではない。

どちらかというと、それは「独り」というよりも「一人」。寂しい感じの伴う「独り」とは違い、自分と向き合う時間を持つことが大切ってことが言いたいんだろう。

一人で居ることは、人によっては辛いことかもしれない。頭の中で考えてることを自分の考えだと感じたくないとか、気分が悪くなるという場合もあるだろう。

一人の時間が長くなると、自分と向き合わざるを得なくなる。そうなるといつまでも自分嫌いでは居られない。

これまでに一人の時間を過ごすことがなかった人は、自分と向き合うことに困惑するかもしれない。

それでも、自分とコミュニケーションを取ろうとすることを続けていく。

そうしてるうちに、自分といい塩梅にやり取りができるようになり、一人がとても快適になっていく。

ずっと一人も生きにくい

しかし、いくら一人の時間が必要とはいえ、ずっーと一人でいるのでは良くないのではないか、そう感じる。

今一人でいる人に、一緒に居られる知り合いを作りなさい、っていうわけじゃなく、外部の何かに触れることできっかけが得られるから。相手が人間でなくてもいいが、動物や植物などに触れることでも、新たに気づかされることがあるからだ。

あまりにも一人だけで居過ぎるのも、社会に属している限りは難しいことだろう。

社会は一人を認めたくない

どうして一人を極度に恐れたり、大勢で群れなすことを強要してくる人がいるんだろう。

孤独死が問題だとされることがあるが、死ぬときは誰でも一人。いくら病室に居たとしても、それは同じ。

なのに、孤独死をよくないことのように扱うのはなぜだろうか(福祉関係の業界を活性化させるため?)。

老人だから孤独死をするわけではなく、誰でも年齢に関係なく一人でいるうちに死んでしまう可能性はある。

それは、ただ一人の人間が死んだだけ。孤独という言葉をつけて、寂しげなイメージや厄介そうな雰囲気を持たせることはないと思う。一人一人がバラバラに動いてしまうと、社会としては扱いづらいというのが原因なのかもしれない。

孤独ー寂しさ=一人

たまには一人を味わうようにしてみると、なんてことはない。家の中でひとりぼっちなことはあっても、市内で一人なんてこともない。人に会いたいときには出掛けて行けばいい。

寂しいという気持ちを持たなければ、一人なんてどうってこともないだろう。一人になると自分の好きなようにできる。

それが心細いというなら、常に集団の中にいればいい。ただ、その場合は集団でいることのデメリットを受け入れることが求められる。

自由で居たいなら一人になるのがいい。自由でいることにも当然ながら、そのデメリットを受け入れなければならない。

どっちも嫌だという欲張りな人は…周りになんと思われようが気にせずに、いいとこ取りができるようにしたらいいだけのことだと考えますが。