本の価値
本が欲しいというのは物欲なのだろうか。
それは違う、という意見もある。なぜなら本自体が欲しいわけじゃなくて、中身の情報が欲しいんだから。
確かにそうだ、と思う。電子書籍を読むときなんて、まさにそう。
本来なら、フォントの好みや行間などの読みやすさが一種類しかない、昔のテキストエディタみたいなものだったとしても、情報が得られればOKなはず。そこまでストイックではなく、多少フォントやレイアウトにこだわりはあったとしても、コンテンツが味わえればいいわけで。
しかし、内容さえわかればいいってものでないことは、本好きな人には理解できていると思う。私ですら、それは違うって感じるくらいだから。
本というものは、書かれているもの以外にも情報を持っている。ただ存在しているだけで。
棚に並んだ本を眺めるのが好きな人もいるだろうし、置いてあるだけだったり手に取って見ることで、何らかの感情が思い浮かんだりすることもあるかもしれない。
電子書籍の棚にも本の表紙が並んでいるが、まだ本棚には敵わないのではないだろうか。
ただ、電子書籍には別の良い面がたくさんあるので、どちらか一方にすればいいというものではない。両方とも存在していて欲しい。
瓶入りコーヒーと新聞
瓶入りのインスタントコーヒーを買うときを考えてみる。欲しいのは、フリーズドライにされたコーヒーの粒だけど、購入するときには瓶とフタ、紙ラベルなんかが付いてくる。
本当は袋でも持っていってコーヒー粒だけを買いたいのだけど、保存期間や衛生面、商売差別化などの問題もあってそういう売り方はあまりされていない。
結果的に瓶などの余計なものが付いてくるし、瓶の料金も価格に含まれている。でも、瓶は他のことにも使えるから、いいのかもしれない。詰め替えタイプをのコーヒーを買ってくれば、役に立つ。
紙の新聞だってそうだ。ニュースはインターネットでも見れるから、紙の新聞は要らないような気もするが、実際のところ紙の新聞もあったほうがいい。生ゴミを包むのに使えるし、他にも用途がある。
紙の本は新聞紙?
本もそんな感じなんだろうか。
そうだとしたら、紙の本が好きな人はコーヒーでいうところの瓶を、新聞でいうところの新聞紙が好きだということなのかもしれない。あまりそんな人は居ないように思うけれど、好きな方はいるだろう。
ここでの比較だけではまだわからないが、少なくてもコーヒーと新聞は違う。コーヒーは一回飲んだら次は飲めないけど、新聞は一度でも何度でも読める。そういう意味では紙の新聞は紙の本に近い。
新聞の内容はその名前が示しているように新しいものだから、時間が経ては価値が変わるものが多いかもしれないが、それは本でも似たようなものだろう。
一つ言えるのは、紙の本好きと電子書籍好きは違うものだということ。単純にそのままで比較することはできそうにない。