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のんびりしたい私のアタマノナカ

人のサポート

身内相手と他人相手

身内相手に何かをしてあげるのは難しい。

義理の家族ならまだ少しはマシかもしれない。気を使うから疲れるだろうけど。

まったくの他人相手に何かをするのも面倒なことだろう。

才能がないと無理なような気もする。


機械の操作方法を教えるとか、お得な買い物方法の話をするにしても、実の家族相手に手取り足取りで手伝ったり、代わりにやってあげるのは結構つらいものがある。

どうしてこんな簡単なことが理解できないの? とか、まだ覚えられないの? この前も言ったじゃん! ってなことになってしまいそう。

でも、他の人相手なら少しくらいはなんとか対応可能。そういえば、お客様サポートセンターの方は家族相手に仕事と同じようなサポートができるんだろうか。

一回限りとか、数回だからまだいいのかもしれないが、さすがに毎日顔をあわせるような人相手にサポートをし続けるのは難しいだろう。それができる、苦にならない人は客を相手にする仕事が向いている。

お店に行くと接客の素晴らしい人を見かけることがあるけど、毎日しかも常連相手に愛想を振りまくのはどうなのだろう。つらくはないのだろうか。


自然体の対応

どうやら国によっては、というよりほとんどの外国では「お客様は神様」ではないという話を聞く。

そのほうがいいのでは? そう思う。少なくとも働く側には。働く側も客側も結局は同じようなものだから。

もしかしたら、それでは客としては寂しいかもしれない、ただ働く方としてはとっても気楽でいられるはず。気分のいいときぐらいは笑顔でいるかもしれないけど、他の日も自然な態度でお客さんの相手をする。

何も不機嫌でいろって言ってるわけじゃない。無理をしなくてもいいんじゃないかってこと。

それに、下手に客を立てると勘違いした横柄な客が増えてしまう。別にお客にそこまでする必要はないし、そこまでしないと生き残れない会社や業界なんて不健康。そんなものはなくなってしまえばいい。


ただの仕事

誰が始めたのかは知らないが、仕事を神聖化しすぎてると思う。

天命を受けたように仕事に打ち込むのは勝手だけど、そうはできない人もそれなりに劣等感や無力感などの罰を受けているものだ。もし報酬がなければ仕事なんてしないよって人もいるのでは。

自分に似ている人の相手をするのは腹が立つといわれる。その言葉からすると、身内相手よりはいいにしても、人のサポートをするというのは大変なことだろう。

誰かのサポートをするのが天職の人ならともかく、たかが仕事として人のサポートをしている人に完璧を期待するのは無理というもの。イカレテるといってもいい。サービスを提供してくれる人の揚げ足を取る前に、他のことに一生懸命になってみたほうがいいのではないでしょうか。