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のんびりしたい私のアタマノナカ

よくわからないもの

本棚には、よくわかっていないものについて書かれている本が並んでいる。

基本的に、確認の意味でよくわかっている内容のものを購入することはないので、よくわからないものが残されてしまうのだ。

もしこれがよくわかるものだらけなら、本に限らず今から処分を始めるだろう。

とはいっても、これまでに手放したものを思い出してみれば、まったく理解できなかったものもあるはず。

しかし、そういったものはもう記憶にない。まったくわからなかったから、記憶にさえ残っていないのだろうか。それとも、わからないなりに内容を理解したから手放してしまったのだろうか。


持ちものなどの自分に関わっているものは、なんらかの期待に応えてくれる。

期待に応えるという表現がピンとこないなら、コミュニケーションが取れると考えたらいいかもしれない。

わからないことを教えてくれたり、少なくとも自分の頭の中に染み付いていないことの手助けをしてくれる。

助けてくれるということは、まだそのものについてわからないところがあるということであり、そういった対象にならなくなったもの、完全に理解してしまったものは手放してもいいと考え始めるのだろう。


自転車やクルマなどの乗り物が、思った通りの動きをしないとイライラするし、第一危険だ。その原因が故障なら修理が必要だし、そうでないならまずは自分を慣れさせるための工夫をする。

いろいろな工夫を試してみてもコミュニケーションが取れないときには、お別れになってしまうのは仕方がない。

これもやはり、それについてわからなかったということだが、同じわからないでもわかろうとする好奇心の続かないものを持ち続けることはできないのだろう。


音楽や映画のように、見たり聴いたりするタイミングによって違ったことを教えてくれるものもある。

最初は良いと感じたものでも、あまりに薄っぺらいものは興味がなくなるまでの期間も早い。


好奇心とは厄介なやつだ。すべてがわかったと思ってしまうと、一気になくなってしまう。しかも、自分が興味を持つことなのに予測がつかない。突然やってきて、何かに熱中させる。

だから、興味のある理由を聞かれても答えられない。答えられるのなら、それはわかっているということだろうから。よくわからないから好奇心をくすぐられるわけで、わかってしまったと感じたものは身の回りから消えていく。

というわけで、持っているものはよくわからないものなのである。