動物というのは、「動く生き物」のことだと思っていた。
植物は動かないわけではないだろうが、人の目に明らかに見える早さでは動かない。そういうふうに、植わっている物のことは植物と呼んでいる。
動物は動きたくて動いているのだろうか。動きたくなくても動いてしまう物なのだろうか。
常に動き回るにはエネルギーが必要だ。動かなくても体温を維持するために多くのエネルギーを使う。何もしていないようでいて、脳は膨大なエネルギーを消費している。無駄なことではないだろうか。
動物はエネルギーをたくさん消費する前提で活動している。よく、飢餓に耐えて生き残ってきたという話を聞くことがあるが、それにしてはエコな構造にはなっていないように感じる。
使うかどうかわからないけど、とりあえずは生産して要らなくなったら再利用。そういう意味ではエコなのかもしれない。しかし、それなら要るときに作るというシステムにはできなかったのだろうか。
リサイクルができるから、何度か再利用してもいいじゃないか。ということなのだろう。
工場の生産ラインでは大量に作ることで価格を下げることに成功している。
体だってそんなものなのかもしれない。
たくさん作ることで生産能力を維持する。作り過ぎた分は分解してまた使えばいい、というように。
用不用の法則というものがある。限界を超えない範囲で頻繁に使用する器官は発達し、使用しない器官は衰えていくというものだ。
これは生き物だけに当てはまるものではないだろう。
機械などの場合、新品は確かに重宝される。それでも、新品が機械として最高の状態ではないということも知られているだろう。今でもまだ、ある程度は動かしてやらないとスムーズに動かないというもの。はじめのうちは使い物にならないというものもある。
どうやら、少なくとも動物については「動く生き物」というよりも「動かないといけない生き物」のようだ。
動かないと運動不足になってしまう。運動が不足すると、不都合なことが起きてくる。それは、体のシステムが動くことを大前提にしているからだ。逆に、動かないことを前提にしているのが植物なのだろう。
世の中はどんどん動かなくてもいいように進化していっている。スポーツジムに通うなどすれば運動量を確保することは可能だが、3食きちんと食べるために運動するというのはエネルギーを浪費しているだけのようにも思える。
食べるということは、エネルギーを摂取するというよりも、ただ食べたいというだけで食べていることがあるからタチが悪い。そのためにわざわざカロリーの低い食料を作り出したりしているわけだから。
だいたい、食事の時間を決めたりしないといけないのだろうか。食べたくなったときに食べられるようにしておけばいいのではないだろうか。決まった時間に労働するために規則的な生活が求められたのだろうか。