やりたいことの範囲って色々だな。
絵を描きたいなら、紙に書くでもタブレットに描くでもおんなじように感じるのに。
紙には描きたいけど、鉛筆がいいとか。水彩が好きとか。
音楽を演奏したいにしても、アコースティックギターは好きだけど、似たような音を操れるシンセサイザーは興味ないとか。
それって、絵を描きたいとか音楽の演奏をしたいっていうよりも、鉛筆やアコギなどの道具を使いたいのでは? と感じてしまう。まあ、そういった道具を使いつつやりたいってことなんだろうけどさ。
私も含めて、本人は気づいていないことが多そうだけど、やりたいことの根っこがわかれば見当外れの方向へ進むことは少ないんじゃないかなあ。
たとえば何か文字を書くときに、紙の手帳を使うとアイディアが出るって話があるけど、どっちかっていうと私はデジタルのほうがいい。一つの道具で複数のことをこなせるものになぜだか惹かれてしまう。
ということは、私の場合は「コンピュータみたいな電子機器を使ってやることなら何でもいい」というのが根っこにあるんだろう、とか。
こんな感じに根っこが見えれば、少なくても「人と話すのが好き → 接客業」とか、「コンピュータが好き → IT産業」みたいなことにはならないと思う。
どこの業界でも人と話すことはあるだろうし、いまどきコンピュータを使わないなんてありえないから。
絵を描くのが好きだったら画家や漫画家になれるってわけでもないし、演奏が得意だからミュージシャンになれるわけでもないでしょ?
でも、そんなふうに考えてしまいがちなのかもしれないね。
音楽の演奏をするときに、楽譜を見ながらとか耳コピして演奏するのは楽しいでしょ? それが絵を描くことになると、なんか違う…って感じるらしい。
写真をタブレットに表示して、ペンでなぞったりアレンジしたり。色が塗れたりして個性も出せる。なのに、そんな趣味って演奏に比べるとあんまり聞かない。どうしてだろ?
音楽はともかく、絵については一から描けないとっていう偏見があるのかな。
ほとんどの人がそうだと思うけど、お仕事だってみんなそう。文章を書くときでも誰かのものを真似して書いたようなものばかり。建物や機械の設計をするといっても、一からじゃなくて以前の計画を参考にしたり、いまある図面を修正するわけで。そこまでの才能は求められない。
そんなわけで、今やってることの中にもやりたいことは含まれているんじゃない?
これからやるといいことは、できるだけそこの部分が大きくなるような工夫をしていくってことなんだと思うよ。