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常識について

常識ある大人でいることは大切なことでしょう。

しかし、常識は知っているだけでいいのではないでしょうか。

誰かを従わせるために口を酸っぱくして言う必要もないでしょうし、常識を逸脱しないように心の中で呪文のように唱える必要もありません。
自分を洗脳するには口に出して言うのがいいという話を聞いたことがありますから、よほど心に刻みたいこと以外を口にするのはやめたほうがいいかもしれませんね。

常識というものは、物事を円滑に進めるためにあるのでしょう?

常識外れな奴らばかりが集まってしまうと、とにかくそいつらとの調整に多くの時間を取られてしまいます。その結果、行動さえすれば良い物事でさえ、まったく前に進まなくなってしまう。そのようなことにならないように定められた暗黙の了解、それが常識なのだと思います。

でもそれは、ただのルール。どんなときでも必ず守らないといけないようなものではありません。
なのに、いつでもどこでもどんなときにでも守らないといけないもののように感じている人が多いような気がしてなりません。

学校の先生から出される宿題をするということも、仕事先の上司から課せられるノルマをこなすというのも常識ではあるでしょう。しかしそれは、何があっても絶対にやり遂げないといけないというほどのものではないのです。
確かにそれなりの努力はしなければなりません。みなさん全員が簡単に常識を無視した行動を始めると、世の中がうまく回らなくなってしまい、おかしなことになってしまうからです。だから、普段は常識に従った行動をすることを求められてしまいます。

周りの人たちとしては世の中を機能させるためという建前のもと、本当のところは自分だけが常識を守るのは嫌なので、嫌がらせのように他の人にも強制してくるというだけのことなのです。
こんなことは今さら言わなくても、ご存知のことだと思いますけれども。

大切なことは、もうどうしようもないと感じたときにひとまず「常識を忘れてもいい」ということです。

なんとかして常識の範囲内に収まっておこうとしたために自分自身を押さえつけ続けてしまい、最終的には非常識なことにつながるような出来事が多くなっているように思われます。

追い詰められた状態で常識内の行動のことを考えてもまともな結論は得られません。そんなときには一旦、常識のことを横に置いてみてください。視界から外すと表現してもいいでしょう。
そのようにして、落ち着いてからもう一度考えてみるのです。誰かの決めた常識なんて、所詮ちっぽけなものでしかないのです。常識に合わせようなんてことは思わずに、冷静に自分の頭で考えてみてください。
きっと最適な考えが思い浮かぶことでしょう。