机の前に座って作業をしていたときのこと。
ずっと続けていると、行き詰まってきた。煮詰まったとでもいったらよいのだろうか。休憩を挟んだりしながら続けてみる。やはりうまく進まない。時間ばかりが過ぎていく。
ダメだこりゃ。これ以上は時間の無駄だと感じて、違うことを始めてみる。その間も頭の中ではさっきの作業のことが気がかりではある。気分転換して完全に忘れられるといいのだが、私の頭はそう簡単に忘れてくれそうにない。こんなことより単語の一つでも暗記してくれたらいいのに。
30分〜1時間ほどして再び机に向かうことにする。今度は家族が掃除機をかけ始めたりして騒がしい。部屋のドアを閉め、音楽を流して防衛開始。不思議と今度はスムーズに進む。一体何が違うんだろう?
さっきと変わったことといえば、「なんとかちゃんと終わらせなきゃ」と思ってたのを「もう適当でいいや」と思ったことと、静かだった部屋に掃除機の音と音楽を鳴らしたこと。この二つが効いているのだろうか。長めの休憩で頭の疲れが取れたのかもしれないが。
適当でいいとはいわないが、完璧にしようとすると終わらせるのが難しくなるんだろう。終わるためのハードルが高くなるわけだから、そりゃそうだ。一通り終わらせよう、というくらいでちょうどいい。一旦終わって時間があるなら、もう一回見直せばいい。
趣味でも仕事でもそうだろう。向かっている先が正しいかもわからないのに、少しつまづいたところで止まってじっとしていたら最後まで行き着かない。もしかしたら、つまずいた場所には行かなくてよかったのかもしれないのだから。途中に尋ねる相手がいるならともかく、そうでないならひとまず終わりまで行ってみる。それなら間違ってたとしても、もう一度最初から始める時間が残されている。
たったひとつを成功させるより、失敗するかもしれないものを何度も繰り返すほうがやりやすい。失敗作はたくさんできてしまうけれど、ひとつも完成しないのでは話にならない。
いろんなことに手を出すけど続かない、そんな人は失敗を怖がっているんじゃないだろうか。どこかで効いた言葉だが、やめない限りは挫折はない。のんびりと一生続けてもいいんだから、簡単に挫折なんてしなくていい。今はうまく行かないことでも、興味があるならしつこく続けていったらいい。周りにどう思われようが関係ない。
他の人に対してもだが、自分の失敗にも寛大になるほうがいいなと感じた。