書いて浮かべるブログ

書きながら考える

のんびりしたい私のアタマノナカ

思い込みしだい

脳は過去と未来を判別することができないと聞いたことがある。確か、脳自体としては善悪の判断もできないのではなかったか。

内容の面白さとはまた別の要因で、気分の良いときにしていることが楽しく感じられたりするもの。

授業を受けるにしても、つまらないと思いながらだと本当につまらなくなってしまうし、面白いと思いながら仕事をすれば面白く感じることもある。

どちらにせよするのなら、楽しくやったほうがいい。

つまらないと思いながらすると、つまらないだけでなく疲れやすくもなる。さらに困ったことに時間が流れるのも遅く感じてしまうのだ。

そんな経験はないだろうか。つまらない仕事をイヤイヤやっていると、仕事は終わらないわ、ミスはするわ、定時までの時間をとても長く感じたりする。逆に、仕事上がりに楽しみにしていたイベントがあって気分のいいときなんかは、仕事がスムーズに進みやすくなる。仕事が面白いとまで思わなかったとしても、つまらないとかツラいと感じながら過ごすことは少ないだろう。


頭の中というのは不思議なものだ。どういう状態で物事に取り組むかによって、感じかたが全然違ってくる。

それ単体で面白いことなんてないのかもしれない。他の人から見たらくだらないと思えることでも、楽しみながらやる方法があったりするのだろうか。

楽しさは周りの誰かからもらうものではない。楽しいと思いながらやるのが大事なんだろう。少なくてもつまらないと思いながらやっていれば、どんなことだってつまらないことになってしまうのではないだろうか。


毎日のルーチンワークをなくそうと考えても、そう簡単になくなるものではない。毎日予想外の出来事がある生活なんておそらくないのだろう。幼い子どもならまだしも、長いこと生きてきた人が刺激を感じることなんてそんなに残されていないということなのかもしれない。

しかし、予想外の刺激を感じられないのは自分のせいだろう。いつもと違う変化に気づかなくなっているだけだ。どうせ前と同じだろうから、と言わんばかりに頭の中で思っているから何も変わらず面白くないと感じてしまうのではないか。


変化がほんの少しでゆっくりだと、脳はその違いに気づかないらしい。いつもと同じだから、見なくてもいいし気にしなくていいや、というように。脳ってやつはそういうものなんだろう。

普段と変わらないように見える日常の中にも、面白いことは存在している。ただ自分がそれに気づいていないだけ。そう仮定して暮らしてみるのはどうだろう。仕事だって勉強だって遊びだって、とびきり面白いと感じる状態はそう続かない。それなら、その辺に転がっている当たり前に見えるものを、面白がってみるのもいいのでは。

誰かが言ってたじゃないか、人生楽しんだもん勝ちだって。