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のんびりしたい私のアタマノナカ

使い込むとは、ただ使うことではない

正規表現を使って思ったことについて。

本でもパソコンでも、手垢にまみれて壊れかけるくらいまで使ったものを、一般的には使い込まれたものというようだ。

はたから見てもボロボロになった本や、キートップがテカテカになったノートパソコンは使い込んでいるように見えることだろう。

だからといって、その本やパソコンなどの道具が役に立ったということにはならない。

確かに人が使ったというだけの意味なら、物体として使い込まれたのは間違いないのだろう。しかし、道具として役立ったのかというと、また別の話だ。

本を汚さなくても内容を吸収できる人はいるし、いくら汚くなっていてもサッパリ頭に入っていないような人もいる。頭に入っていなくても見ながら役立てばいいのだが、持っているだけで本の内容を活かせない人だっているだろう。

同じくパソコンについても、キーボードやマウスで入力した回数が多ければ多くのことをこなしたというわけではないのは言わずもがなであり、音声入力やプログラムをうまく使っていれば新品同様の見た目でも、十分価格の元を取ることは可能だろう。はっきりいってパソコンの場合は、ペシペシとキーを叩いたり、マウスをガチャガチャ動かしている人は仕事が遅い。

そういえば、クルマやバイクを運転するときについても似たような話があった。クルマやバイクのハンドルは車両を曲げるために使うのだけれど、ただのきっかけに過ぎないということ。もともとハンドルをグリグリ切らなくても曲がるようにつくられているからだ。それなのに、ハンドルを無理に切るような運転をしていると、まず前輪が変な減り方をしてしまう。人の体もそうだと思うが、乗り物は無理矢理に動かすものではなく、動きたがっているように動かしてやるだけでよい。

道具を丁寧に扱いすぎて、役に立てられないのは本末転倒だが、元を取ろうとするかのように使い込む必要はない。大量消費の時代にあっても、道具を大切にすることに意味はあるのだ。

で、正規表現なんだけど、無駄なキー入力によるパソコンのダメージと時間削減、さらに同じことを繰り返すことによる自分のモチベーションの低下。そういったことを効果的に解決してくれるすごいものだった。ちょっと前のようにプログラムをつくる必要すらない。
おかげで、私の精神エネルギーは浪費されることなく、パソコンのキーボードを痛めつけることもなく、しないといけないことを無事に終わらせるができたとさ。