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たまたま独和辞典を眺めていたら、その辞書は制作期間24年でようやく発行されたということを知った。

これは前書きに書かれていた言葉なんだけど、24年間で完成したわけじゃなくて一旦まとめることができたので、一度発行して辞書の内容を世に問うというようなことが書かれてる。長い年月が経っているので、出版社との関係や編纂者たちの年齢なども出版のきっかけとなったのかもしれない。

ちなみにこの辞書は古本屋で安く手に入れたもので、改訂版などではなく、2003年に初版で初めて発行されたもの。辞典をつくるのは大変な仕事だと思われるが、本当に長い時間がかかるんだなと感じた。他の本たちと違ってすべてのページを読まれることはないだろうし、かといって辞書を引く人みんなにとって不要なページはないわけで、なんだかとても尊い仕事だと思った。

しかも、この辞書はいま現在絶版になってしまっていて、中古でしか手に入らない。インターネットの情報を見る限りでは評価が低いわけではないのだけれど、絶版ということは単純に売れなかったのかもしれない。この出版社には他の独和辞典がないので、残念なことにこれまでの資産が生かされることもないのだろう。

改訂して復活させようにも、2006年の正書法に対応したものではないから手間がかかるということなのだろうか。でも、他の出版社からは2000年発行の独和辞典がまだ現役で売られてたりもするわけだから、出版側としては改訂するほどのメリットがないと考えているんだろう。

そういえば、その出版社が昨年発売したドイツ文法の本は装丁の変更はしたけど中身は同じだということだった。約20年ぶりに新装版となった本の内容が同じというのはそれだけ完成された本なのかもしれないが、出版社の考える需要と供給の関係が伺えるような気がする。

いま出版されている辞書はデジタルのデータだけでできているだろうから、一度完成させてしまえば改訂時の手間は昔に比べて少なく済むだろう。データフォーマットなどの問題で過去の資産が生かせないのだとすると、ただただもったいないの一言である。

今回挙げた絶版辞書は、文学研究者が携わったことが特徴ということであり、巻末にはドイツの歌や聖人についての記載がされている。見出し語75000語の学習辞典でサイズに装丁、価格もごく普通。もしかしたら、こんな部分が他の辞典に対する競争力を削いでしまったのかもしれない。

見た目が普通の学習辞典だから、学習者が買っていってしまったのだろう。しかし、内容としては文法に詳しいわけでもなく、文字の色や大きさにそれほど工夫があるようにも見えない。どちらかというと通好みだと感じる。辞書を届けるべき相手にちゃんと届かなかったのではないだろうか。

もし、再びこの辞典が発売されることがあるとしたら、そのときにはしかるべき人の目に止まるような装丁と価格設定をしてほしいものだ(「◯◯◯独和中辞典」のように名前を変えてしまうのもいいかもしれない)。