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のんびりしたい私のアタマノナカ

ピッタリくるもの

すごく好きなものってある?

考えてみたけど、ずっと好きで持ってるものとか、ずっと好みの音楽や作家なんていないことに気がついた。

他の人のことはわからないけど。

そのときだけお気に入りのものはあったとしても、長く続いてる好みなんてない。続いてたとしても、せいぜい5年間くらいかな。

好みの映画も特にない。映画を見たときはそれなりに面白かったと思ってるはずなんだけど、数年経過したときに人に語れるほどのお気に入りではない。

だから、昔持ってたものを見ても「ああ、これ好きだったなあ」と思うくらいで、ある程度の年月が過ぎたらほぼ間違いなく処分可能。どうしても捨てられなかったものなんてないと思う。

これって、さみしいことなのかも。ものだけじゃなくて思い出でも、あの思い出は絶対に忘れたくないって言うのも思い当たらない。もしかしたら、記憶喪失や認知症なのかもしれない。

当時好きだったものは今でも嫌いじゃないけど、ちょっとした思い出が蘇ってくる程度で大した感慨は生じてこない。

よく言えば、過去を忘れて前へ進んでいる、というように考えることができるのだろうが。やっぱり、これは人として問題があるんじゃないかとすら考えてしまう。

過去に引きずられない分、前を向きやすいという話もある。しかし、過去の積み重ねがその人の人生だろうから、過去がそれほど思い出せないというのはいかがなものか。

ということは、例えば今の私のクローンが作れたとしてもそれは今の私ではない。おそらく遺伝子に記憶は含まれていないからだ。そして、そのクローンは見た目が似ているけれど、今の私ではないだろう。

ん? この話の流れでいうと、私が私かどうかを見極めるための要素は「記憶」ということになる。ならば、私の記憶さえ完全に移行されれば、見た目や体の性質はどうでもいいということになるのか。

性格が脳の回路のクセだとすると、記憶は脳の回路と同じようなものではないのか。そうなると、記憶を完全移行した脳は、私とほぼ同じものなのでは?

なんて話はどうでもいいのだけれど、本当に心の底から好きな物語が思い浮かばないというのは案外寂しいものだな。

それなりの量の作品に触れてきたと思っていたけど、大した量ではなかったのだろう。少なくてもプロフィールに書けるようなものは一つもない。ぴったりとくるものが見つかっていないというのは悲しいものだと感じた。