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問題発見型と問題解決型

問題が起こる前提で何かを始めるのに向いているか、起きている問題を解決するのが向いているか。

私はたぶん、問題を解決するのに向いているし、実際のところ得意なほうだと思っている。

このタイプの人の困ったところは、問題が起きないと何もしないところ。さらに問題が起きないような仕組みをつくることを最優先しがちだから、どんどん何にもしなくなっていく。暇に耐えることができるので、たとえすることがなくなったとしても苦ではない。

逆に、何かを達成するためならどんな問題が起こっても気にしないタイプの人もいる。この手の人は退屈を嫌う傾向にあるので、起きていた問題がなくなって安定した状態が訪れると自ら問題を起こしたがる。いや、さらに高度な目標を掲げて前進しようとする。

どちらのタイプがいいわけでもないし、多くの人がどちらかに偏っていてお互いの性質を必要としているというのがホントのところだろう。2つのタイプが双方の弱点を補い合っているからこそ、様々な分野での進歩があるのだと思う。


この話とは別に、好き嫌いという要素もある。得意でも嫌いだったり、苦手なのに好きだったりするからややこしい。

例えば、問題解決が得意なのに嫌いな場合にはどうしたらいいのか。問題を解決するのをやめる、もしくは問題を解決するのが好きになるのどちらを選んだらいいのだろう。

「得意」と「好き」は人の中での担当が違うといわれている。「得意」は頭の担当で「好き」は心が担当というように。こうした葛藤がある場合、まずは頭のいうことを聞いて「得意」を続けることが多い。何日か何年かはわからないが、ある程度の期間嫌いな気持ちを抑えながら得意なことができるだろう。しかし、そのうち心の反撃を受けることになり、得意なことはできなくなっていくというのが通例だ。

じゃあ、どうしたらよかったのか。「得意」を「好き」に変えられないのなら、得意でない好きなことを得意にしていくほかはないだろう。そうしていく中で、好きなことが得意になるかもしれないし、「得意」だけど「嫌い」だったことがそれほど嫌いではなくなる可能性もある。確かなことは、得意なことを嫌いなままで我慢しながらやり続けるのはやめたほうがいいということだ。

嫌いだと口にしていた得意なことが嫌いでなくなるのは何となくかっこ悪いと思うかもしれないが、好きだと思っていたことでも実際にやってみると外から見ていたより好きではなくなることもある。一つのことの専門家になろうとしなくてもいい、心のまま好きなことに手を出してみると考えが変わることもあると思う。


話がそれてしまったが、問題の発見と解決の両方が得意という人はそれほどいない。周りにいる人たちによって自分の役割が変わることもあるだろう。

そんなふうに考えてみると、私が問題解決型だと思っていたのは間違いなのかもしれない。ただ、問題を見つけるのが得意な人が周りにいただけなのではないか。問題解決のスペシャリストのような人の近くへ行けば、私のほうが問題発見型になるという可能性もあるだろう。

これまでの環境でそういう特性を持っていたというだけで、自分の性質を見極めるというのは自分自身に対する偏見なのかもしれない。

自分が得意と思っていることが本当は嫌いなら、人間関係だけにとどまらない周りの環境をガラッと変えてみるのもいいだろう。そうすれば、自分でも気づかなかった新たな一面が顔を見せてくれるかもしれない、そう感じた。