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のんびりしたい私のアタマノナカ

やれるという感覚

予想というものはあまり当てにならないようだ。
できると思ったのにできなかったり、できないと思ってたのに案外できてしまったり。
経験や考えかたは人それぞれなので、どっちになるかは人によっていろんなタイプがあると思う。

よくサイトなどで見かける、老人が後悔していることによると、もっと頑張ればよかったとか、あんなに働かないでよかった、といった言葉があげられていたりする。

それまで頑張ってこなかった人からすると、やってみたらできることはあっただろう。逆に、すごく頑張ってきた人からすると、もっと休めばよかったと感じるのかもしれない。

人はそれまでの経験をもとにしか考えられないということ。まだやれるかなんて、周りだけじゃなくて本人にもわからない。

気持ちだけが先走って体を壊すこともある。とはいえ、それがきっかけで新しいステージが開けることもあるので、無理をし過ぎないのがいいことだとも言い切れない。

特にスポーツでよく実践されている感覚の、イメージトレーニングが有効に働くのは精神的なものが大切だから。いくら身体的に恵まれていても、精神が健全でなければその能力を発揮するのは難しい。当然、精神論だけで体を引っ張っていくにも限界がある。

英語を学ぶときにも、まず外国語に対する苦手感を取り除くのが大事という話を聞いたことがある。同じように、学生のころ運悪く数学に苦手感を持ってしまった人は、大人になってからも数字を見ただけで吐き気がしてしまうかもしれない。

だからといって、精神的なものが一番大事ということでもないのが厄介なところ。スポーツにも勉強にも、体で覚えた方が手っ取り早いことがある。たとえば、基本的なフォームを身につける練習や算数の九九など。そうしたものは、どうしてそんなことをするのかを考え過ぎてしまうよりも、体に覚え込ませたほうがいいのではないだろうか。

やれるかどうかはやる前に考えるものじゃなく、実際にやってみないとわからない。前回ダメだったから今回もダメというのは間違いだし、前回できたから今回も絶対にできるわけでもない。やってみて、ダメだったらそのときに対処する、そのくらいの気持ちで取り組んでいくのがいいのだろう。ただ、それを実行するのが癖になるまで意識的に行っていくことが大変なのだが…。