今回の年末年始はほとんど帰省しただけで、イベントも入れず、忙しくならないようにしていたので、結構のんびりできました。
もうすでに通常営業なのですが、気持ちはまだ少しお正月。
犬たちとの散歩も朝晩の2回してたので、いつもの座り過ぎの生活と比べて健康的だったんじゃないかなー。
ま、その分もしっかり食べてたので体重の変化はなかったですが。勢い付いていて、今は増加中…。
日常生活で、一息つける景色の良いひらけた場所が、近くにあるといいなあと感じました。
少し前の話。
嫁さんと飲みかけだったお酒があったのだけど、
「あんまり残ってなかったから飲んだよ。さっき」
「もっと美味しいの買ってきたから」
って…。あのお酒、すごく気に入ったのに! 美味しいって言ってたでしょ!
ほどなく怒りに火が付いてしまい、大変不機嫌に。
また買おうと思うも、限定品で1年後になるようで。
なかなか飲めないと思うと、さらにイライラしてきて…、イヤな空気が充満していく。
ちなみに、今日のお酒は夕食に合わせて作ったらしい。
もう無くなってしまったものは仕方ないか。
このまま不機嫌を続けるのも疲れるし。
あきらめて、「一緒に飲もう」と誘う。
まあ、一緒に飲める相手がいて良かったということにしておこう。
それに、意図せず無くなってしまったものについては、とても良いものを失くしてしまったと感じやすいらしいからね。
と思い直し、二人で美味しくいただきました。
※結局、そのお酒(焼酎)は普段行かないお店でGETできました〜
人の言ってたこと、意見が、頭の中をぐるぐるしていた。
何度も何度もぐるぐるしてて、そうなのか? 違うんじゃないか? と思っていること。
だから、何度ぐるぐるさせても納得いかない。それは違う、そう思う。
言ってることが正しい、というか、筋が通ってるのはわかる。
でも、何度考えても、自分の感覚が間違ってるんだ、と思い聞かせても納得できない。
それに従おうとすると、全くの無気力になる。なってしまう。
どうしたらいいのか。
聞いてるフリをしとけば? って思うことは思うけど、あまりにも納得がいかないから聞いてるフリさえできそうにない。
これはもう、聞かない。いや、「聞いたかも?」くらいに思うしかないかもしれない。
「言ったっけ?」って返すくらい忘れてしまわないとダメかもしれない。
とりあえず、頭の中から取り除いてしまいたい。こうやって書き出すことで少しでも薄くしてしまいたい。
「散髪して短くするのはやめて」と嫁さんに言われた。
別に薄いわけではない。
そう言われても、髪は勝手にのびるから、気持ち悪いんだけど…。
私だって、散髪行くのはキライだよ。いや、めんどくさいよ。
だから、耳に当たりそうになったら切ったりしてる。前髪が長くなったときにも。
それでも、さすがに持ちこたえても2ヶ月ちょい。のびるのが早いのか普通これくらいなのか。
今回はスキ用のカミソリが入ったクシを利用。
これで来年まで持たせるつもり。
およそ、あと2週間。
新しい年を感じる頃には、散髪屋さんが行きたいところに変わっていると良いのだが。
待てよ? そもそも見てて寒いってことは、春を感じる頃まで短くできないのか。
あー、それ以前に、見てて寒くないように少し切ってもらったら良いのか?
どっちにしろ、めんどくさい。
見てて寒いはともかくとして、なんでめんどくさいんだろ。スッキリして気持ちよくなるのに。
子供の頃は1時間とか、随分待たされたから、そのイメージがついてるのかな。 今は20分もかからないんだけどね。
行く店がいつも通る道沿いに無いからなのか、切った後のサッパリし過ぎた感がイヤなのか。
さっぱりわからん。
自分が感じて決めている感覚よりも自由らしい→私。
う〜む。そうは思えないのですが…社会の中の人としてって感覚が大きくなってるのは確かだなー、とは感じます。
こういう感覚は、大きくても半分までにしとかないと。疲れるし。
自分的には自由でないと思ってる。
でも、自由だと思っても良い。
もっと自由になっても良い。
「へへっ、こう見えても、私はすんごく自由で気ままなんだぜー」思うのも自由。
少なくても、そう思うだけでも、気持ちがラクになる。気がする。
自由にしていいんだから、ムリもしなくていい。
自分のイメージを、職業や、やってることで決めてしまうのはやめよう。
誰が何と言おうと、「私は冒険家だー」とか思ってたっていいんでない?
何か一つの型にはめようとするのは、あんまり良くない気がするのです。
生きてるってのに変わりはないし、どんどん変わって行ってもいいんだからね。
長沼 毅さんの「考えすぎる脳、楽をしたい遺伝子」を読んだ。
人間には、動物的な部分が残ってるんでなくて、動物に頭がオマケで付いてるだけって感じがした。
そう考えると、世の中の納得いかない事柄が逆に自然に見えてきた。
人って、頭で生きるんじゃなく、動物として、生きることメインで考えたら良かったんだー、って感じ。
頭が体を統制してるって考えずに、頭を暴走させないようにする。
頭にはバグがあるようなので。
頭で考えることは、脳としては正しく、問題ないことなんだけど、動物としてはまた違った考えを持っていて、その辺にズレがあるんだろう。
頭だけで考えずに、体の、動物としての気持ちを感じて、大事にして、暮らして行くといいのかな。
でも、どうやらこの問題は人の永遠のテーマであるらしく、まだ解決には至っていない模様。
脳が大きくなり過ぎて、影響力も大きくなり過ぎちゃったのかなー。
他の長沼さんの本も読んでみたいと思う。
iPhoneをつまんだとき、思った。
私はケースを使っていないので、本体そのままの姿である。
慣れというものは恐ろしい…。
いや、素晴らしいのか?
つい数年前まで薄くて折れそうと思っていたMacBook Airでさえも普通に感じさせてしまう。
今の感覚では、もうすでにiPhone7も厚いし、重い。
ても、この間下取りに出したiPhone6は薄い感じがしてたから、もしかしたら材質や塗装による肌触りや、厚さと重さのバランスによるものなのかもしれない。
確かに、iPhone6と比べると、6s、7ともに厚みの割に重たいのだ。
となると、3D Touchの搭載が原因なのかな。アルミが7000系になり、塗装が変わったことも関係していそう。
それに硬い気もする…。
あ、6で曲がる問題があって、硬い7000系に材質変更したんだった。
ちなみに、iPhone6の厚さは6.9mmでiPad Air2と同じだったのが、6s、7になってからは7.1mm
この違いが気になったのかもしれないね。
ついこのあいだ、嫁さんとの会話の中で出てきた、
「あなたの何もしないところが、いいところ」
ってことば。
へ? おかしいんでない?
それはいいとこじゃないでしょ?
いいところか? どこが?
わからない…。
Googleさんに聞いてみる、「いいところ 何もしない」
ほう、意外に効果がある模様。
「あえて」、「バカンス」、「精神の回復」・・・
長期に休暇を取ったりしなくても、ちょこちょこ何もしない(=精神を休める)ことができさえすれば、効果アリというような記事が出てくる。
ありがとう、Googleさん。詳しくは見てないけど、大体わかったよ。
確かに、頭ばかり使うのをほんの少し休んだだけでも、ほんわか穏やかになれた気がしたから。久しぶりに。
hontoにある、オススメのブックツリーを辿っていたら、面白そうな本があったので読んでみた。
この手のサッと読めそうな本は、電子書籍がありがたい。どこでも読めるし、かさばらないので。
人生の、生活の。
左から始まるとして、簡単に文字で書くと、
「/」「-」「__」「VV」「U」
のように、いろんなペースがあるけど、それらの組み合わせは人それぞれ。
私的には「/」の逆、バックスラッシュ的なのが多いかなー。
できることは、さっさと片付ける。
社会人としては、「-」な感じに出来るといいんだけど。
ま、そんなこと言ってても仕方ない。
そのときの調子にあわせて、途中で疲れ切ったりせずにゴールへ向かえるよう、リソースをうまく配分していくしかないわな。
たまにはMac版のKindleも使ってみようと思い、立ち上げてみると、メールアドレスとパスワードを入れてください、と言われたので入力。
認証できなかったらしく、画像にある文字を入力してください、とのこと。
なんとか見づらい画像の中の文字を入力してもダメ。結局使えなかった。
なぜに? 何が違うの⁉︎ となって、5、6回やってもダメ。こりゃ、ダメだ…。
アプリのアップデートがあるのかな? と思い、App Storeを覗いてみるも、App Storeには無い。よって、ダウンロードできない。
んならと、Amazonサイトからダウンロードしてみたら、サインインできた。やったー。
App Storeにも入れとけよー。
でも、アプリの起動はできたものの、本のダウンロードがなかなか進まず…。遅すぎる! 読む時間なくなったじゃんか!
「人生を半分降りる」を書店で手にとってみるか、と思いつつ、そんな話を嫁としてたら、
「もう半分以上降りてるんじゃない?」とか、
「そろそろ自分が普通でないのに気づいたら?」とか言われた…。
そうなのか? 知らなかった。
いや、たまに言われるが、しっくり来てなかった。いや、今も来ていない。
そもそも、少なくても自分のことを普通(多数派)と思ってて、ホントに普通な人なんていないんじゃないか?
それに、私は人生を降りていない。降りそうになっててもなんとかなってるはず。
ただ、それを望んでるかと聞かれれば、ほぼ全く望んでいない自分がいる…。
結構、他の人と同じように生きようとしつつ暮らしている、それに満足しているフリはしているが、ホントのところはそれを望んでいない。
それどころか、乗っかってる道自体、間違ってるようにも感じられる。
…これは、半分降りるってことにも興味あるけど、良かれと思って乗っかっている人生が間違っている可能性も否めないなー。
ネットを色々見ててしっくりきたことば。
・やる気は無理に出すものではなく、自然に湧いて出るもの
・やる気が出ないのは、したいことでないから
ってやつ。悪く言えば耳当たりの良い、甘いことば。
どこかのサイトから引用させてもらおうと思ったけど、原典がどこかわからなかったのでナシ。
ホントそうだよね。というか、そうなんだろうねー。
私たちは、やる気の出ることが収入につながらないとダメ、みたいに思ってしまいがちで、それが不幸の始まりでもあると思う。
周りの人たちのことばでなく、自分の気持ちを聞くことを心がける。
それが、たとえ立派でなかったり、正しいことでなくても。
どうにかして、自分がやる気の出る方向を向き、そのことをする時間を少しずつでも増やしていく、これが人生ってやつなのかなぁ。
頭の部分、いわゆる顕在意識はほんの数パーセントって話もある。
そういうのが、したくもないのにやりたいことだと思い込まされてしまう原因なのかもしれないね。
可哀想な無意識…。どんだけ抑え込んで(いわゆる真面目ってやつ?)生きてきたんだろ。
こんな本があった「考えすぎる脳、楽をしたい遺伝子」
書評を見ただけ。近々読んでみる。
もっと遺伝子(無意識、体かな?)のいうことを聞いて、気持ちよく生きたいものだ。
好きなことをやるようにしていきたい。
みんなもぜひ。
あなたの好きなことは、私がイヤイヤやってることかもしれないし、
私の好きなことは、あなたがイヤイヤやってることかもしれない。
イヤなことはしたくない。
そのためなら、貧しくなっても世間的には不幸でも構わない。
こんな考えはおかしい人のすることなのだろうか。
そんなことはないと思うんだけど。
今だけでもイヤなのに、この先ずっとしたくないことをするなんて、
人や会社の言いつけを守っていかないといけないなんて、いつまで生きられるのかわからないのに。
耐えられない!
少しは気分がマシになったかな。
あー明日も仕事。どうしようもなくなるまでのらりくらりとやってやるさ。
にっちもさっちも行かなくなったら、晴れてサヨナラすればいい。
それまでは下手に動かず、曖昧に、適当に過ごしてやろう。
こちらから動くことはないさ。
まあ、どうなるかわからないけど、そのときはそのとき。
なるようになるだろうからさ。
そうだ、前にお気に入りに入れてた「人生を半分降りる」でも読んでみようかな。
哲学の「哲」の字には縁があるので。
間違ってないはずなのに楽しくない、面白くない、続けるのがしんどい。
こういうときに気をつけてみたいことは、正しいってだけでやってない? ってこと。
正しいことって、いや、正しいとされてることって、自分の気持ちと合ってる? とか考えにくい。
正しいことだから気持ち的にも問題ない、って思ってしまうのだろか。性善説的な。
やろうとすることについても、他の人からしても立派にうつりそうなことをしがち。
やりたくないのに世間体を気にした、カッコ良さげなことをしようとしてみたり。
そうしてると、正しくて、カッコいいことをしてるはずなのに、何だかやる気が出ない…。
そんなことが起こってきそう。
なりたい自分を目指して、今できもしないことをするのは意味のあることだと思うけど、なりたくもない自分を目指すってことは、意味がないどころか害がありそう。
なかなか自分でも気づかなかったんだけど、この辺の整合を取っていくことが、元気に過ごしてくってことにも繋がるんじゃないかなぁ。
あとね、なーんかイライラして頭が重いってときは、意外に結構、寝不足のせいだったりする。
とにかく余計なことする前に寝てしまう。そうすると、目が覚めたときには正常な感じに戻ってたりするもんだよ。