書いて浮かべるブログ

書きながら考える

のんびりしたい私のアタマノナカ

向き不向きとか考える深さとか経験とか

適性があるとかって、どうやって判断するんだろうね。

自分で判断できるのは、多分今やってて向いてるかどうかくらい。苦労なくできるとか、やってて楽しいとか。
周りが判断するときの基準も、おそらくそんなに変わらないんじゃない?

今できるかどうかは、将来スムーズにできるようになるかとは別問題な気がする。

話はそれるけど、上手くできる人が管理の仕事に就いたり、コーチになったりすることも多い。
よく言われるように、できることと教えられることはあまり関係ないみたいだから、できる人に指導的な役割をさせるのは良くないと思う。

それでもたいていは成績のいい、問題を起こさない人が管理をするんじゃないかな。

そういう人が適性を考えて選ぶとなると、あることを任されるかどうかは、運というか偶然みたいなものなのかもしれない。おおまかな傾向が合ってるっていう程度には正しいんだろうけど。

人って意外と、本当は結構いろんなことに適性があるんじゃないかと思うんだよ。その気になればできる、みたいな。
でも、ちょっとした仕草や言動に触れたときに、都合良くアレが向いてそう、って勝手に判断しちゃうんじゃないかな。自分も周りも。

迷ったときにコイントスで物事を決めるみたいに、誰が何をするかを決めるのだって実は適当でいいのかも。極端に体力や知力が求められる役割じゃない限りはね。

そういえば、昔は「石の上にも三年」とかいう言葉が使われてたけど、最近はやることが細分化され過ぎた。
そんなこと言ってたら、同じことをずーっとやることになっちゃう。

今では適性があるとか考えるのはほどほどにして、いろいろ少しずつ試してみるしかなくなっちゃったのかもね。ダメなら次、みたいな。

じっくり考えたりする時間がもったいない、っていう風潮。考えるにしても、動きながらがいいとか。 一つのことを深く考えるのも、たくさんのことを浅く考えるのも、大差ないんじゃないかって思うんだけどさ。

かなり適性の有無から話がズレちゃったな(笑)
ただ、何が自分に合うかはともかく、どんなこともそれなりの経験値をくれるはず。

屁理屈をいえば、うまくできなければ合わないということがわかったわけで、合わないということを教えてくれた先生でもある。
さっき言ったように、今できなくても興味があれば上達する可能性はあるだろうから。

適性なんて、ある一定期間で見ないと、わからないもんだと思うんだよ。