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漢和辞典と古語辞典

近頃気づいたこと。 漢和(漢字)辞典が面白い。ついでに古語辞典も面白い。

学生の頃にも多少は読んでたと思うけれど、今どきの辞書の方が読みやすくなっていると感じる。フォントサイズを変えたり2色刷りになっていたり、調べ物をするために開くというよりも、単体で楽しめるようになってる。

まあ、小説みたいにずっと最後まで読んでいけるかは別として、ちょっと手に取って読むにはいいんじゃないかな。読書が苦手な人、忙しい人にもいいと思う。辞書はそもそも一冊丸ごと読むための本じゃないから、読みきれなくても罪悪感のようなものを感じなくて済むし。一つの項目を読むだけだって学びにつながるかもしれない。

よくないことがあるとすれば、紙の辞典は場所を取る。あと、手放す時に高く売れないし、フリマサイトで売ると送料が高くつく。かといって、要らなくなって捨てるにも、悪いことをするような気がしてなんとなく捨てづらい。

一部の人を除いては、古すぎる辞書を持っていても役に立たないわけで。ある程度愛用したら、壊れるくらいの製本がいいのかもしれない。ま、愛用してると逆にどれだけ汚くなっても捨てられなくなってしまうんだろうけれど。

話は戻って、漢和辞典や古語辞典の方が、国語辞典よりも面白く感じる。何気に意外だった。久しぶりに見てみると、漢文や古文って結構覚えてる。案外、勉強していたのかもしれない。現代文よりも教訓めいたものが多かったからかな。といっても、読んだことあるって思うだけで暗唱できるようなのはないけどね。

漢和辞典は特に、同じ部首の漢字が並んでるから意味が近いものを続けて見れる。部首のイメージがまとまってるって感じかな。国語辞典だと、読みが同じ言葉たちのイメージが集まってる感じはそこまでしない。求めていたものは漢和辞典にあったたんだって思った。

ただし、漢文も古文も過去のもので新しいものは出てこない。なので、新しい用例が出てくることは少ないだろうし、他の辞典とダブっていたりすることだってある。そういう意味では、自分にとって使いやすい辞書が一冊あれば事足りてしまう。そこは残念な点だ。国語辞典のように、新しいものが時代に合わせて変化するといったことは少ないだろう。せいぜい、見やすくなったとか歴史背景が学べるサイトにアクセスできるとか、最新の研究成果を盛り込んで使いやすくなったなどの進化に止まってしまいそうな気がする。

それにしても、いくつもの物語を読むんじゃなくて辞書や参考書をつまみ読みしてるだけの読書って意味があるのかな…。まあ、意味はなかったとしても、興味があるからそれでいいんだと思うんだけどね。