久しぶりに棚から紙の国語辞典を取り出して思ったこと。
「ん? 最近使ってないし、手放していい頃かも」
普段は同じ国語辞典のアプリ版を使ってるので、内容としては役に立ってもらっている。でも、紙の辞書自体を使っているわけではないのでキレイだし、売ってしまえばちょっとしたお小遣いになるような気もする。
こういうときに思わずページをめくってしまうとアウトだ。躊躇せずに素早く手放してしまう方がスッキリするだろう。
いつもの悪い癖だが、ここで中身を見始めるとしばらく手放すことはできなくなる。
「一覧性がよい」というらしいが、紙の辞書は他の項目まで目に入ってくる。だから、調べたかった言葉の他にも一つか二つ余計に調べてしまう。これはさすがにアプリでは得られない体験だ。
逆にいうと、余計な時間がかかるから疑問に思った言葉があるときに開くものではないということか。意味のわからない言葉だけを調べたいときには、アプリ版を使うべし。
こうして物は減らずにどんどん増えていくわけだ。別に嫌なわけではないが。
所詮はあったらいいものなので、処分はどうしてもしないといけないときでよい。
実際、本も音楽もない状態で暮らしていても、それらに飢えるほどではなかった。私にとってはそういうものだったのか、とそのとき初めて知った。
しかし、あるとないとでは大違い。私を豊かにしてくれるものには違いない。
「あるといいもの」というものは「なくてもいいもの」かもしれない。だからといって、「なくていいもの」ではないのである。