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外国語の読み方

外国語を勉強するとき、同じ文章を何度も読むのがいいと言われる。逆に、内容がわからなくてもいいから多くの文章を読むのがいいとも言われる。

やってみる側としては正直どちらも難しい。同じ文章を読んでいると、しっかりわかっているわけでもないくせに飽きてくる。かといってわからないままで数をこなしても、読み散らかしていくだけで読めた感は少ない。

試験を受けるのなら、解答を理解して覚えればいいのだろう。しかし、文章の解釈は一つだけと言い切れない。自分なりの解釈を作った後で解答を確認するのはいいとして、最初から解答を頭に入れるのは思考停止。洗脳を望んでいるようなものだと思う。

自分なりに考える。それが人として大切なのはわかるが、そんなことをしている時間はあるだろうか。仕事でも、考える前に覚えろ真似をしろ、と言われていては産業ロボットを増やしているだけだ。できるようになってから考えればいい、という意見が出るのは生産性を最優先しているから。最低限のルールや方法は教わる必要があるだろうけど、ベテランのコピーを作り生きるために作業をするのが人間らしいだろうか。代わりはいくらでもいる、という言葉もあるがそれは当然のことだろう。

誤訳したりしながら、考えながら読んで自分なりの攻略法を見つけ出す。法律や契約などの厳密さが求められる文章ならともかく、物語の読み方を一から十まで学ぶというのは、つまらないことなのでは? そもそも日本語で書かれた文章だって、正確に読めないことが多くあるわけで。

外国語の勉強ために外国語を読むのではなく、楽しむとか知りたいことのために外国語の文章を読む。本来それがしたかったはずなのに、ついついお勉強として文章を読んでしまう。どっちの方法がいいかなんて考えてしまうのは、そうした気持ちの表れだなと思った。ただ、読みたいものを好きなように解釈して読めばいいだけなんだ。