書いて浮かべるブログ

書きながら考える

のんびりしたい私のアタマノナカ

つながりのない文章

何が面白いのかわからない。興味があるのかもわからない。でも例文(短文)を読むのが面白く感じる。これは一体どうしたことなんだろう。

長文を読もうとしてもめんどくささが勝る。とはいえ、一旦読み始めれば読めないことはない。ずっと積読状態にあった本でも、手に取って読み始めれば興味が出てきて一気に読み終えてしまうこともある。でももし、手に取らなければ積読のままだっただろう。たまたま何かのきっかけで手に取っただけ。まあそもそも興味があるから持ってるわけで、全く開きたくない本ならとっくに処分してるはずだし。

短い文章は空き時間にサクッと読める。寝る前のちょっとした時間にでも。読むというより見るに近い。ちょっとした文脈はあるものの、大掛かりなストーリーはないからどこで読み終えてもいい。こんな気軽さが心地いいんだろうか。

物語のない、独立した例文のようなものってどんなふうに作り出されてるのかな。参考書だったら、過去問から採集するとかしてる関係で出典が書かれてたりするけれど。

格言集とか、詩集なんかも似たようなものかな。そういうものは一度読んでも飽きづらく、何度か読める。そこが良い点。悪い点は良い点の裏返しで、手放しにくくなるところ。一回読んで終わり、そんな本の方がスパッと手放せる気がする。そういう意味ではストーリーのある本を処分する前に、目に留まった文章を抜き出しておくと個人的に興味深い短文集になるのかな。

ん? 今思ったけど、これって読書とは言わないんじゃない? 適当なページを開いてみて、「最近、ガソリンの値段が上がってきた」とか「フレッドはいま(一時的に)東京に住んでいる」とかいう文章に目が留まったからって、それを読書というだろうか。その短文が一体なんの役に立つだろう。特に前後関係のない文章がたくさん身の回りにある、そんな状態がなぜか好きなだけ。我ながら変な趣味だなって感じた…。