書いて浮かべるブログ

のんびりしたいおいさんのアタマノナカ

嫌われてもいい

嫌われたくないと思っているから本音が言えなくなる。
本音が見えなくなる。本音で生きれなくなる。

どう思われてもいいと本当に思えるなら、相手の反応など気にする必要は微塵もない。
もっと自分に素直に自分のために生きていい。

一人では生きていけないとよく言われる。
確かにそうなのだろう。

でも、かと言って、人によく見られようとするのは間違ってるかもしれない。
無関係なことかもしれない。

よく見られても利用されたり、雑に扱われたり。良いことはなさそうだ。
その人がどう思うかはその人の内面によるから。

だったら自分を大事にしまくった方が後悔はない。
自分に頼り、少しでも自分のできることを拡大して行った方がいい。
それに今に集中できそうだ。他のことが消えるから。
今の自分を大切にして満足していれば気にしても仕方ない、考えても仕方ないことに気を紛らわされずに良い方向へ進めそうな気がする。

できるだけ好きなようにして、そうでないことはせずに生きる方法を探していく。
結果的に能力を活かした、向いていることしかできないことに気がつき、そのことが周りにも良い影響を与える。そういうところが目指すべきところなんじゃないか。そうでないといけないんではないか。

自分になるってことは、結局のところ、自分にしかなれないってことだ。
明らめて、そのことを受け入れ、自分になる。
放っておいても自分にはなれない。努力とは違うが自分になると決めるのだ。
やってることは変わらないように見えるかもしれない。言ってることも変わらないかもしれない。
それでも自分を強く持って、自分で決定して生きていくのだ。

どう思われるかが気になったとしても、それを考えてるのは自分の頭だから、他の人がそう思ってるとは限らないし、もし自分の想像が当たっててそう言われたとしても気にする必要はない。気にしてもいいが、気にしなくてもいい。自分のことについての決定権は常に自分にある。傷つくかを決めるのは自分だ。どう反応するかを決めるのも自分だ。

嫌われてもいいと思うこと。もっと言うと、敢えて嫌われるように行動すること。その方が周りからの干渉がなくなり、自由が増えていいかもしれない。しっかり芯のある態度をとって、説得すればなんとかできそうな雰囲気をなくすこと。

その上でしたいことをする。周りに左右されない空間をつくる。

一種のノウハウ。

仲良くするのはいいが無理に合わせる必要はない。

合わせることを強要する雰囲気に負けてはいけない。


…とエラい強気に書いてますが、この記事は、岸見 一郎/古賀 史健さんの「嫌われる勇気」を読んだ後に書いたからかもしれません。

すべての人に嫌われる必要はないと思いますが、自分を押さえつけてまで無理に好かれる必要もないといったところでしょうか。

嫌われる勇気 | 岸見 一郎/古賀 史健:著 | 書籍 | ダイヤモンド社