書いて浮かべるブログ

書きながら考える

のんびりしたい私のアタマノナカ

なれてくる

だんだんとなれてくる

大変だと思ったことも

すんごく疲れて もうしない と感じたことも

やり始めて やっているうち そのうち終わる

最初から 最後まで考えたりしない

そんなことしたら なあんにもしたくなくなっちゃう

だんだんとなれてくるから はじめてみる

疲れても しっかり休めば 回復するから

ねがいごと

やっつけるよに早く済ませて

とにかくなんでも終わらせて

やってもやってもヒマにはならない

そんなのは幻想か妄想 空想 夢想

ただの想像

効率上げて 時間掛けず やらなきゃいけないこともあるけど

時間掛け丁寧に穏やかに やっていきたいこともあるでしょ

けだるい

だるいときは だるいままで

嫌なときは 嫌な顔で

つまらないときは つまらなそうに

そのままでいいと思う

面倒なことになったり 損したりするかもしれないけど

平気なフリや 楽しそうな顔をしたりするのは たまに

ふだんは そのまま 気持ちのままに

みとめられない

気になる話を聞いてると

自分が小さくなっていく

そんなときの心のなかは

いいなあ でなくて、そんなのダメだ

すごいなあ でなくて、そんなのたいしたことない

評価してしまう

何様のつもりだろう

自分が小さくなっちゃって 軽くなって飛んでって

上から目線になるのかな

ほんとは いいなあ、すごいなあ って感じているのに

感度を上げてく

なんか近頃、すぐ怒れる。怒りっぽくなった。

泉谷閑示さんの「普通がいい」という病~「自分を取りもどす」10講 (講談社現代新書)によると、感情はまず怒りから出てくる。それを押さえつけてはいけないというようなことが書かれてあった。他の感情を感じるためには、まず怒りを感じることが大切なのだろう。

うん、押さえつけたりはしていない。

怒りたいときは我慢せず怒る。
もちろん、なるべく一人になって。

そうすると、すぐ気分が楽になる。
ちょこちょことしたガス抜きのようなものが必要なんだろう。

そんな感じで、こまめに表現していると怒りが長引くことも少ない気がする。
クルマを運転しながらとか、周りに誰もいない環境で急に叫んでみたりするのもいいかもしれない。

嫌な感情を感じないように、感度を下げて暮らしてくのもいいが、同時に良い感情も感じなくなってしまうのは寂しい。

楽しさや喜びを味わうためにも、怒りや悲しみを抑えつけないようにしていきたいと思う。

コロコロ変わるもの

今思えば。ってことは意外とあるもんだ。

しないといけなかった部活も、全くしたくはなかった。 しないといけなかったから、行ってただけ。

途中で辞めてしたいことをしていてもよかった。 今思えば。

逆に、嫌だと思ってたことが面白くなったりすることもある。 数学や英語もそう。

嫌いなほどに興味を持てなかったのに、今ではとても面白く感じる。

興味なんて、好き嫌いなんて、わからないものだ。

だから、前に嫌だったことでも、気になるならやってみたらいい。

それに、何か意見をするときには、末尾に「今は。」って付けておくのもいいかもしれない。 本当に付けると変かもしれないから、心の中だけでもいい。

心なんて変わるものだし、そのほうが気を楽にしておけるのではないだろうか。

頑張るのもいい

ずっと、「頑張る」っていう言葉が嫌いだった。

我慢する、努力するってイメージしかなかったから。

ところが、辞書を見てみると、

「頑固、意地を張る。自分の意見を強く押し通す。我を張る」

と言う意味もある。

私が良くやってきたことではないか。

な〜んだ、私は頑張ってきたのだった。

こんなことは他にも相当ありそう。

気になる言葉は調べてみよう。

しっくりくる言葉を選ぶ

私は中途半端だ。

平凡に雇われて暮らしてる、という言い方をしてもいいだろう。

だが、平凡・普通がいちばんとか言う風に教わってきた気もする。

そう言う意味では、平凡は悪いことではないのかもしれない。

逆に、中途半端はやめなさいという言葉も聞いてきた気がする。

やり始めたら最後まで、極めるまでやりなさい、って言う感じ。

使う場面に応じて使い分けるから、特に問題なく使われる言葉なのだろうが。

ところで、中途半端はいけないのだろうか?

そもそも、どこを終点にしたときの中途半端なのだろうか?

要は完全にやめてさえいなければ、まだ道半ばなのではないか。

興味や情熱を失っていることに、一生懸命になることなんてできやしない。

中途半端は良くない、なんて言葉は横に置いといて、興味のあることをしたらいいんじゃないか。

完全にやめてないから、中途半端ではない、と思っていれば。

例えば、まだ未完成、やってる途中とかにしておいたら。

あんまり気にしてなかったけど、こういう言葉の解釈の仕方によって、思考はかなり左右されている。

良くないことかもしれないけれど、都合の良くないことについては、都合のいい言葉を見つけて言い換えてみてはどうだろうか。

言葉に縛られ、影響されて、自分の気持ちを操作しようとしても、なかなかうまくはいかない。

そのうち、不満が爆発することにもなりかねない。

だったら、気持ちを中心に考えて、うまい言葉に置き換えてみたらいいんじゃないだろうか。

私は気持ちのままに生きていく。順風満帆でなくていい。

辞書は何て楽しいんだろう

辞書の例文を読むのは楽しい。

だから、例文が少ない辞書には興味がない。

とは言っても、楽しいだけで、何かの役に立つわけではなさそうだ。

まあ、多少は構文の理解や、単語の暗記に役立つことはあるだろうが。

でもなぜ、こんなことが好きになったのだろう?

学生のときは良く辞書を引いてたはずなのに、そんな風には思わなかった。

単語数は多かったけど、例文の少ない辞書を使っていたのかもしれない。

どこかで会った、

「本は引くもの、辞書は読むもの」

という言葉。

出会うタイミングが違ってたんだろうか。

やりたいことのまんなか

好きだけど、したいけど、今でなくていい。

前にずいぶん、よくやったことだから。

今は、ほかにもやりたいことがあるから。

嫌いになったのかと思ってたけど、そうじゃなかった。

嫌いになろうとしてたんだろう。

そうすることで、ほかのことができるように。

ほかのことをする時間、スペースをあけるために。

なんでもかんでも、すべてのことを同じように楽しみつくすことはむづかしい。

だから、ひとつずつ。

でもそのうち、いくつかがまとまって、一緒にできるような気がする。

共通点を満たした、一つのことにできそうな気がする。

そうなったらいいな。楽しみだ。

凄く眠い

なんだろうか、この眠気は。

春眠暁を覚えず、というものか。

いや、春だからってだけのことでもなさそうだ。

日記アプリを検索してみると、1ヶ月に一回くらいは「眠い」の文字…。

要は、いつも眠いってことだ。