書いて浮かべるブログ

書きながら考える

のんびりしたい私のアタマノナカ

サンタさんからもらいたいもの

心配なことがあると

それが頭の中を駆け回る


ほおっておくと

一日一回はそのことを考えるくらい

心配なことに囚われている


心配を排除しようとするからだろうか


頭が過剰に反応して

なんとか解決しようとしてしまう


これは不幸な習慣だ


問題好きならいいのだけど

少なくとも私はそうではない


無駄な完璧主義というものだろう


問題を放置できる寛容さを

サンタさんにお願いしたい

できる?したい?

得意なこと とまではいかなくても

できること はありがたい


できること のおかげで

なんとか生活していける

感謝されることもある


でも

たぶん

できること と したいこと とは 同じじゃない


いまさら

したいこと なんてできるんだろうか

そもそも

したいこと ってなんなんだろうか


わかんなくなってくる


ただ

できること ≠ したいこと

って予感はする

やりたいこと

結構あったんだ

子供の頃 夢中になってて やめさせられたこと

それに負けて あきらめてしまったこと


もし いま 夢中になってもやめてしまいそうな気がするし

興味を抑えて なかったことにしてしまいそうだ


こんなんだから よくないのかな


やりたいことなんだから

なに言われてもやったほうがいい

こっそり隠れてだったとしても


やりたいことが

お仕事につながるかどうかなんて

まったく関係のないことだったんだ

年の瀬だね

もうすぐクリスマス らしい

もうそんな気はまったくしない


そのあとには正月がくるらしい

それも もうどうでもいいや


ただ こよみの上での日が変わるだけ

誰かがイベントとして決めたこと


だから

変なこと考えて

ネガティブになったりしないでね

頭を支配される

なんかもう疲れちゃったな

なんにもしていないのに


でも 疲れちゃうってことは

なにかをしてるんだろな

無意識のうちに


何が原因なのかハッキリ分かればいいんだけど

よくわからないんよね


ただ ちょっとした心配ごとに

頭の中を占領されてるような気はしてる


そいつのせいかもしれない


でもね

そいつがなかなか消えてくれなくて

ずーっと居座ってるような気もしてて


早くいなくなってくれないかな

頭の中を返してくれないかな

気持ちがわかるの?

近頃うちの犬は

一緒に散歩してくれない


散歩してくれないってのは変かもだけど

そのとおりなんだ


ただ道を歩いていくだけなのに

途中で止まって歩かなくなる


嫁さんにその話をすると

「あなたにその気がないからよ」

だって


そんなの伝わるのかな

そんなことがわかるのかな


いっつも誰かを探してるみたいで うわの空

私と散歩してるのに


一緒に歩いてくれればいいのに

たまに立ち止まって散歩拒否

気がつかなかった

ストレスはないと思ってた

特にイヤなことなんてなかったから


でも

本当はあのとき

ストレスってやつがたまってたんだ


全く気がつかなかった


そんなもんなんだな

感じてなかっただけなんだな

感じるのをやめてたんだろうな

無視してたんだろうな


無意識のうちに

頭のマシな使いかた

もうどうなってもいい

そんなふうに感じるときは

こんな思いが隠れているのかもしれない


(思い通りにならないなら)どうなってもいい

(思い通りにならないなら)もう終わりだ

(思い通りにならないなら)面白くない

(思い通りにならないなら)つまらない


じゃ、思い通りになるようにしてみたら?

ダメな気持ちに浸るより

思い通りになる方法を考えてみよう。

人のことはわからない

いくら考えても仕方がない

どうしようもないこともある。


どうなるんだろう とか

こうしたらいいんじゃないか とか

ひたすら考えてしまうことがある。


自分で何とかできることならいいんだけど

人が決めることについてはどうしようもない。


できるだけのことをやったら

あとは考えないようにして

したいことをする。


そのほうがいいよね?

魔法使いじゃないんだから

周りの人やことについては変えられない。


わかってるよ

そうは言っても気になって

頭の中がそれでいっぱいになるってことは。


でもね

よくよく考えてみて。


考えてもどうしようもないことに使う時間とパワーって

もったいなくない?


もっと他の

やりたいことに使ってみたいと思わない?


暇ならいいんだけね。

0120

ある問い合わせ先に電話をした。


フリーダイアルでも携帯からはかけられない番号だった。


公衆電話を探してかけに行く

意外と近くにあるもんだ。


この電話からはかけられません…。


調べてみると

公衆電話からかけられないようにできるらしい。


結局、固定電話からかけた。


カケホに入ってるから普通の番号も載せといてよ。

あったかい

ここは風がつよく吹く。


朝方は

今日は風がないね

なんて言っていたのに。


いつも お昼に向けてつよくなるんだ。


でも

ここはあったかい

日が差してればとっても。


どんどん寒くなる時期だからこそ

こういう日差しがありがたいよ。


ただ

暑い時期は日陰に行かないとね。

ひっくるめて、これでいい

ふと夜中に

目が覚めて

悲しくなる。

なんで

こんなことに

なったんだろ?


でも

よく言うよね

そのうち

時間が解決してくれる。


その言葉を信じて


あのおかげで

今のわたしがいるんだ

あれはあれで

よかったんだ


頭の中が

都合よく整理されて

そう思える

そんな日がくるって。

見ているようでちゃんと見れていない

私ごとだけども、私はかなりの近眼である。

メガネを掛けていないのは寝ているときと入浴時くらい。

なので、普段見ている景色はメガネを通してのものだ。

裸眼で食事をすることも、まず無い。

そんな私が今朝、メガネを掛けずに朝食を食べたときに新鮮な驚きがあった。

なぜメガネを掛けていなかったかはわからない。

いつもいただいているバナナ入りのヨーグルト。

そのバナナとヨーグルトの詳細が見えた。

バナナの繊維、ヨーグルトのテカリ。

こんなにキレイなものを食べていたんだな。

一緒に飲むコーヒーも違って見える。

端っこにいくにつれて薄くなっていく色具合。

ちゃんと見えてなかったけど近くにこんな美しいものがあったんだな。

近眼だからこそ見えるものがあるのかもしれない。

外に出ていくときにメガネを掛けないのは大げさでなく生死に関わるけれども、そうで無いときには裸眼でいよう。

結局それをどう捉えるか

よくないことなんてたくさん起こる。

大切なのは、どんなことが起こったとしても都合の良いように受け止めること。

それくらいの強さは持っていたい。

論理的に思考して、悪いことだと結論付けるのは誰でもできる。

同じことが起こったとしても、もう元に戻ることはできない。

それなら、勝手な想像をしてよかったことにして、これから先を楽しんだっていい。

できるだけ早く気持ちを切り替えて、いい気分を保ったほうがお得じゃないか。

自分だけの経験なんだから、嫌な気持ちを引きずるなんて阿呆らしい。

これでよかったと思えるようなシナリオを取って付けてしまえばいい。

案ずるより産むが易し

先のことをあれこれ考えてるときに、このことわざを思い出した。

中学のとき、担任の先生が言ってた言葉。

あれから何十年も経つのに、いまだにこのことわざの教訓は身についていない。

クセっていうのはなかなか変わらないもんだな。

変えないといけないかはともかく、無駄に疲れるだけなら止めにして、ゆっくりと構えていたいものだ。

それに、思い返してみれば、思い悩むほど大変なことも無かったような気がする。

もっともっと大変なことを、想像だけで考えず、きちんと向き合ってやって行くのが良さそうだ。