書いて浮かべるブログ

書きながら考える

のんびりしたい私のアタマノナカ

MT車の効能?

疲れるのは仕方がない

運転をしていて疲れるということは、脳への刺激が多いということだと思う。だとすれば、疲れを減らすということは、脳への刺激を減らすということになる。そうなると、だんだん意識しなくても運転できるようになっていく。それは、極端に言ってしまうと無意識での運転を許可しているようなものだ。

集中しているから疲れる。その当たり前の疲れを軽減するために、集中していなくても楽に運転できるような装備が追加されたりする。運転する人の年齢や体の状況によっては仕方のないことだが、やり過ぎと感じることもある。


たいした注意をしなくても車をまっすぐ走らせることができる人に、車線をはみ出さないようにする機能は要らないし、右足を繊細に動かせる人にクルーズコントロールは要らない。ましてや、前のクルマが発車したら知らせる機能なんて意味がわからない。それでは信号待ちでスマホをいじったり、子どもの相手をしてくださいと言わんばかりではないか。

長い距離を運転するときに助かるのは確かだろうが、それよりも前にそうしたスケジュールを組んでしまうことをやめるべき。何度も休憩を挟んだらいいのだ。だいたい、丸一日走っても走れる距離なんてたかが知れている。なのに休憩しないで走り続ければ行けるとか、もっとスピードを出せば行けるなんて考えを持つような人は精神に異常をきたしていると考えたほうがいいのではないか。


趣味で乗るものではない

道路を今走っているクルマのほとんどはAT車である。MT車はクルマを操る感覚がいいとかいう謳い文句を見ることがあるが、そもそもクルマを運転することは危険なことである。このあとスーパーへ出掛けたら事故に遭ってしまい、人生終了となる可能性だって相当に高いのだ。でも、毎日のように通勤や買い物に使っているとこのことを忘れてしまいやすい。

楽に運転できるということを脳は喜ぶかも知れない。しかし、楽ということは刺激が少なく、何も考えないということにも近いから、ぼーっとしたままの運転を促すことにもつながってしまう。

良さげな面ばかりを強調するクルマのCMには首を傾げたくなるようなものが多いのだが、もうクルマはすでにただの生活用品である。個人的に操る楽しさという意味は理解できるものの、公道を走るクルマのCMでそれをアピールするのはおかしいのではないか。


マニュアルトランスミッションのクルマを選ぶのは、運転を意識するため。長いことクルマに関わっている人はもっと面倒なクルマでもいい。楽なクルマに慣れ過ぎて、気がついたら目的地に着いていた…。なんて恐ろしいことが無いように、シャキッとした気持ちにさせてくれるクルマを選ぶようにしたい。ある程度のリラックスは必要だが、癒しを与えてくれる室内空間なんて不要なのでは? そう思うのだが、いかがだろうか。