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主語を言いたくない

日本語の場合、主語って省略できるでしょ。一応、明らかな場合ってのが条件で。

それを言ったら、イタリア語とかのロマンス語も省略できるだろうし、そっちの方が普通なんだろうけど。

しかし、フランス語やドイツ語では省略できないって話になってる。あ、英語もね。

私だってほとんど主語は言わないし、こういう場にもあまり書かない。

あんまり意見を言わない、「自分は」って言いたくない気持ちを表してるのかもね。

そういう日本語と違うところがコミュニケーションを取る上でややこしいことになってたり、外国語を学ぶのが厄介な理由だったりするのかも。


言わなくてホントにわかる?

ただ考えてみるとわかるけど、日本語だってかしこまった場で話をするときにはちゃんと主語を明示すると思うよ? 日常生活では言わないだけで。

だいたいは述語で想像がつくもんね。

「〜だと思います」って言ってれば自分の意見を言ってるときだし、「〜だと思うよ?」ってなってたら自分の意見じゃないだろうし。こんなのも、人前に出る文章だったら「私は〜」ってつけるだろうから。

他には、「〜って言ってたよ」も自分の意見じゃない。こんな感じに、述語でなんとなくわかるから。そういう意味では日本語も人称によって変化してるんだな。

ま、こんなのは日本語を教える人にとっては当たり前のことなんだろけど。

結局のところ、主語を省略しても話が伝わるなら省略してもいい → あえて統制をとらない、ってだけ。

でも、精密な解釈が求められるものに関しては、誤解が生まれないように隙のない文章を書くこと。

日常生活にもそういった部分を求めていたら、日本だって主語の省略を認めたりしないんじゃないかな(← “そういった” とかいう曖昧な言葉も使わない方がいいよね)

ちなみにフランス語みたいに、動詞の音を聞いてるだけでは人称が分からないこともあるけど、書き言葉では違いが分かるってのは面白く感じるな。


これからは、通じればいい?

近頃は英語でもドイツ語でも主語が省略されることがあるらしい。

2人での会話はもちろん、SNSの投稿だって独り言と考えれば主語は要らないかもしれないし。

感覚でなんとなくわかることが増えていって、細かい話し合いなんかが不要になっちゃったら、将来的にはヤバいかも。

例えばAIとかって、言葉の認識も目標にしてるでしょ? 主語がなくて、どんどん雰囲気でコミュニケーションが取れるようになったら、AIには言葉の理解がさらに難しくなるんじゃないかな。

もしそうなったら、AIに言葉を理解させるのはやめにして、相手の身振りや体温に体臭、口調なんかから心境を判断して対応しないといけなくなるかも。それってなんだか動物同士のコミュニケーションみたいだ。うまくいけば動物とコミュニケーションできるかもしれないし、そっちの方向で研究が進むのもいいかも。ってもうとっくに何かやってるだろうけどさ。


他の国の言葉を身につけようと思ったら、頭の中の日本語スイッチをオフにするか、普段から使う言葉を「私は行く(学校へ)明日の朝」みたいにしたらいいのかも、って思ったよ。