書いて浮かべるブログ

のんびり好きなおいさんのアタマノナカ

言語

・言語には脳回路の特性が現れているようだ

思いつくままに話をするとき、その文は考えた順序を表しているらしい。そうだとすると、「◯は△する」っていう文を思いついたとき、◯から△に向かって頭の中に浮かんだということになる。◯は主語、△は述語ってやつ。言語によっては◯が省略されることがあるけど、前提として想定されてるだろうからやっぱり最初に◯が思い浮かんでるんだと思われる。

日本語の場合は「◯が□を△する」って感じになるから、◯→□→△の順番で思い浮ぶってことになるけど、本当にそうだろうか。多分そうではないと思う。インタビューとかを聞いてみるとわかるけど、何か話をしてるときって、大抵は無茶苦茶な順番になってる。「よく行くんですよ、私、そういうときに」とかいうふうに。まあ、普通はそんなもんで、だから書き言葉とか話し言葉とかっていうんだろね。単語単位の問題じゃなくて、文自体が違う。

これは日本語だけの話じゃないと思う。言語によってはその辺が厳しく決められていて、話すときと書くときの差が少なかったり、誰が書いても同じような文章を作るように訓練することもあるようだけど。

なので、英会話だけできればいいとか、学校で何年も勉強してるのに英語が話せないのは教育が悪い、とかいう話はそもそもおかしいと思う。日本語は話せるけど文章にはできない人とか、その逆の人って普通にいるでしょ?

学校で学ぶって、興味があるか、向いてるかを経験するって意味もあると思ってて、マスターするところではないと思う。大人になってちょっとした計算式を見ても意味不明だったり、歴史なんて語呂合わせの西暦しか覚えてなかったりで特に詳しいわけじゃないんだから。

外国語として日本語を学んだことはないから分からないけど、日本語の構文って学習するのかな? どの助詞を使うかがとっさに分かるようになるのは難しそうだけど、日本語の場合並びはどうでも良さそう。並びによって文全体の意味は変わってくるにしても、その場の状況を感じ取れる人とのコミュニケーションはできそうな気がする。

なるほど、と感じた言葉に「外国語を学ぶことは、その言葉を使う人の考え方を学ぶことである」っていうのがある。他の言葉を話す人は言葉が思い浮かぶ順序も違うのかと思ってたけど、そうでもなさそう。日本人にも「私は△する、□を」って話す人が居そうだし、その順序でも伝わるだろうから。

でも、名詞によって形容詞の形を変えたりする言語を使う人たちは、全然違った思考をしてるんだろうな、とは感じる。日本語でも名詞によって使いやすいものとそうでない形容詞があるだろうから、全く違うわけではないだろうけど。

どういったことに気を使うか、これまで気にしてきたのか、そんな歴史が言葉にも現れてるんだろね。そういうのに合わせて、同じ言語でも場所によって変化していく。例えば同じ英語でも、イギリスとアメリカはもちろん、アジアで使われる英語は変わって行ってるようなので。この使い分けいらなくない? とかいう感じで単純になってったり、逆に難しくなったり。国とか人種の個性が言語を変えて行くんだろな。