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外国語

・外国語を学ぶのは、外国人と会話するためだけじゃない

図書館にある本を立ち読みしていたら、気になる言葉が前書きに書いてあった。それは「外国語を学ぶのは楽しいものです」という言葉。20年ほど前のドイツ語のテキストで、CDも付いていないもの。付属してるのはカセットテープ。もし借りたとしても、我が家では音声を聞くことができない。

辞書とかの前書きも結構面白くて好きなんだけど、近頃の本に書かれている(特に英語)のは指導要領に沿ってるとか、試験に対応してるとかの言葉が多くてあまり心惹かれない。その他の外国語テキストも、網羅してる内容の素晴らしさを伝えていたり、その言語を使う国の現況が語られていたりするくらいで、著者本人がどのくらい外国語を愛しているかはあまり伝わってこないこともある。あとは感謝の言葉が何行にもわたって綴られていたりとか。

おそらく何かを専門としている人は、自分が専門とすること以外にもいろんなことを学んでいるはず。そうすると、自分の専門分野を客観的に見ることができるので、共通点を見つけたり違ってるところが目についたり。さっきの本の著者も、ドイツ語以外のいろんな言語にも目を向けていることだろう。

人間の話す言葉なんだから、言葉のしくみのようなもの(文法)は似通ってるところが多いものだけど、そのしくみを知るのは面白い。別に会話をしたりしなくても、学ぶだけでも興味深いものがある。

文法通りでないこともたくさんあるだろうし、口で言いやすいからってだけで決まってることもある。しかも、それは常に変化していく。これってすごいでしょ。そんな変わっていくものの法則を見つけだし、文法書としてまとめるなんて、まあ、よくやるもんだと思う。

外国語を知るおかげで、日本語の文法についても不思議なところが見えてくる。母国語は特に意識しなくても話せるから、外国人が日本語を上手に操っていると、どうしてそんなに自然な日本語が使えるの? って思ったり。自分が日本語を使ってるからって、誰かに順序立てて教えられるわけじゃないんだから。

図書館にあったドイツ語テキストの著者や辞書の前書きに限らず、前書きを読むだけで楽しくなる本っていいなあ。著者の人柄のようなものが感じられるような気がして何だか嬉しくなる。ちゃんと学んでいくぞ〜! って気持ちにさせられる。初級レベルを抜け出せるかは別として。

ふと思ったんだけど、外国語の参考書を読んでると数学書を読んでる(眺めてる)ときと同じような感じになる。読むだけじゃなくて、練習問題をやってるとわかってくる。文法みたいな法則があったりするとこも。どうしても理解できない、何回読んでも分からないときは別の本を見てみるといい、なんてのは数学書とかでもそう。外国語と数学って似てるところがあるのかな。

変な嗜好なのかもしれないけど、著者の想いが伝わってくる本と出会って行きたいものだ。自分の専門分野を愛していて、多くの人に学んでほしい! っていう雰囲気を持った本。そんなの、ただウザいだけかもしれないけども。