書いて浮かべるブログ

書きながら考える

のんびりしたい私のアタマノナカ

外来語

カタカナの言葉

この国では、外来語がたくさん使われてる。外来語というと漢字もそうなんだろうから、横文字といったほうが正確なのかもしれないけど。

そうなると、トイレは便所、ブックは本、キッチンは台所、ルームは部屋、ウィンドウは窓、スタンドは台、デスクは机、バスルームは風呂場、チェアは椅子、キャップは帽子、ドアは扉、ライトは照明、キーは鍵、バッグは鞄、など。他にも、ドッグは犬、キャットは猫、ビーフは牛肉、ポークは豚肉、チキンは鶏肉、フィッシュは魚、というふうに普段から使ってる言葉たちが思い浮かぶ。

でも、このカタカナと漢字の言葉って両方とも使ってるよね。

他の国にも外来語はあるんだろうけど、こんなふうに同じ意味を持った同義語を両方とも使ってたりするのかな。ここは言葉だけじゃなくて、いろんなものを受け入れてる国だから、こんなものかもしれないけど。


多いのが好き

これは外来語、みたいな意識で使うこともない気がする。使い始めた時点で日本語と思ってるみたい。さらに和製英語みたいな言葉も作り出すんだからすごいもんだ。

カタカナの言葉のほうがカッコいいと感じるらしく、よく使いたがるように思う。そういえば、歌詞にどうでもいい英語のサビを持ってくるのも同じような気持ちなのかな。

かといって、カタカナのほうだけを使うわけじゃなくて、一応漢字の言葉も生き残ってるし、使われてる。細かいフィーリングの違いを使い分けてるのかも(ここでも、"フィーリング" を使う必然性はないと思うんだけれど、なんとなく)


使い分けにうるさい

似たようなのがいっぱいあるのが好きなのかもね。

英語の「I」を訳すときにも悩ましいって聞いたことあるし。私、僕、俺、我輩、我、自分、儂、おいどん、うち。後ろのほうは方言だけど、他の言葉にも同じことを意味するものがあるだろうから。

一つにしなさい、とは言わないけど、5つくらいまでにはできないのかな。ここの人ってそれくらい言葉にうるさい集団なのかもしれない。だから、敬語なんかにも細かい使い分けがあるんだろうし。


言葉は時代を表す

それでも、無限に言葉が増えていくことはないようで、だんだん使わなくなってく言葉が出てくる。死語とか廃語ってやつね。まあそんなのも、芸能人が使ったとかのきっかけで復活してきたりするから、要注意。

古い辞書って、今使うには適さないかもしれないけど、その時代を知るのに使える。当時の流行りなんかも現れてるだろうし。

辞書だけじゃなくて、20年くらい前の本を見たときに古臭く感じるときがあるから、結構な速さで変わってるんだろね。あんまり気がつかないけど。

この国の人たちって、すごい貪欲に言葉を吸収してるんだなあって感じた。