高校生用の教科書を見ていて感じたこと。
文字が大きすぎない?
こんなに字が大きかったら内容が薄くなってしまいそう。少し小さくしたら、もっと薄いテキストが作れるんじゃない?
ちょっと考えてみて、教師にとって字が小さいのは辛いのかな、だから大きくしてるのかなと思う。多少内容が薄くなっても教師がいるから問題ないってことなのかも。
一部のマニアを除いて、教科書や参考書はできだけ薄くて小さいほうがいいと思う。あんなのたくさん持ち運ぶのは大変だからね。
使い込んで汚くなった参考書の印象って、人によって違うよね。
使い込んだ汚れに愛着がわくってタイプと、汚くなったから捨てたいってタイプ。もちろん、雑に扱って汚いのは論外。
キレイな本はお店にあるし、ほかの人が持ってる本と同じ。でも、何度も手にして読んだ本は自分だけのものになる。
ほかのものでもそう。新品のままが好きで、少しも傷がついたらもう要らないって人がいるかもしれないけれど、その傷にも思い出があったりする。たとえばそれがクルマだったりすると、あそこに旅行へ行ったときにやっちゃった凹みだったな、とか。
一回見れば覚えられることってある。私の場合だと、なぜかカタカナ語は覚えやすい。
思い出すときに記憶が定着するとか強化されるって話があるけど、それって誰でもおんなじなのかな。
そうそう、料理用語とかは頭に入らないらしくて全然記憶に残らない。
興味があるものは覚えやすいっていうけど、興味だけの問題でもなさそうだ。
大きな失敗をしても、本人が反省してなければ何度も同じことをしてしまうだろうし。そんなときは脳に記憶として刻まれないんだろう。
単語帳でも、短い文で覚えるとか長文で覚えるとか、語呂で覚えるとか。いろいろあるようだし。人によって記憶の方法もさまざまなんだろね。自分に合うやり方を見つけるのが大変なのに。
答えが合ってればOKで疑問を持たない人、合ってても納得いかないからわからないって言う人。わからないにもいろんなパターンがある。
ただ暗記すればいいことに疑問をもつのも悪いことじゃないけれど、そんな理解の仕方ばかりしてたらいつまでも先に進まない。こっちは先人が長い時間かけて積み重ねてきたことを短い時間で学ぼうとしているんだから。
なんでそうなるのか、そうなってるのかを考え過ぎないように。ときには、そんなもんなんだって受け入れることも大事。
記憶するにはなんらかの形で理解が必要だと思うんだけど、理解にも性格というか頭の癖みたいなものが影響してるのかな。へえー、そうなんだって思いやすい脳はすんなり頭に取り入れるのかもしれないし、そんなわけない、なんで? って思う脳はなかなか頭に取り入れないのかも。
それに、わかったって感覚がないと納得できないって人もいるだろな。試験に合格すればいいって人は気にならないかもだけど。
あとは尊敬できない人の話は頭に残らなかったり、尊敬する人や本から教わると頭に入りやすかったりもするだろうし。
教えるのって大変やね。なんとかして理解しようって気持ちはあるけれど、私は教えるのが苦手だ。
そんな見方もあるか、っていう勉強になるけどね。