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のんびりしたい私のアタマノナカ

言葉は口にするのが前提

あらためていうまでもないんだろうけど、言葉は音から生まれたんだろう。
そして、声を発した本人が居なくても残せるように文字が生まれた。

文字を残していない動物でも言葉は操っているかもしれない。
私だって、犬が怒っているときの唸り声や構ってほしいときに出す声ぐらいは理解しているし。

言葉の数が増えてきて、覚えておくのが大変になったり、何度も同じことを口に出すのが面倒になったから、どうにかして残しておこうってことで文字が生まれたのかな。もしそうだとすると、犬なんかの動物はまだそこまでめんどくさくないのかも。

ともかく、文字は音から生まれたらしい。生まれて間もないときから言葉を習得していくにしても、まずは音を聞くことから始まっていく。声を出そうにもアー、オー、ウーくらいの音にしかならないだろう。人真似を繰り返しながら音が声になっていき、話ができるようになっていく。読み書きを覚えるのはそのあとだ。

大人になってしまった人の場合、音から入っていくのは難しいといわれていて、まず文法を学ぶのがよいとされているらしい。話すよりも読むことから始めるってわけ。どうやら、幼い頃とは脳の働きが違うからとかいう話。
脳内が変わってるってのはあるんだろうけど、大人になるまでに聞いて学ぶよりも読んで覚えるほうを重視してるってのが関係あるんじゃないかとも思う。言葉を聞いて学ぶ力を使ってないうちに機能が衰えてしまったとか。

別に、目で見て覚えて読むほうを大事にするのが悪いっていうわけじゃないけど、言葉が口にしたり聞いたりすることから生まれたってことは知っといたほうがいい。読み書きだけを考えていたら理解できない、一見不思議に見えるきまりがあったりするものだから。読んだり書いたりするときには問題ない規則が、口にすると話しづらいとか、聞き取りにくいなどの理由で例外として不規則になっていたりすることがあるので。

日本語の漢字でも、同じ漢字なのに前後関係によっては濁点がついたり付かなかったりする。「学習机」の読みが「がくしゅうづくえ」になっちゃったり。こんなのも口に出して読むから起きることで、それが自然になってる人は黙読してるときでも濁点を付けて読んでるでしょ?
人が言葉を口にする限りはこんなことはなくならないと思う。だから、なんでこうなるんだろ? っていうきまりがあったときには、発音規則を読み込むのもいいけど口に出して読み上げてみるといいんじゃないかな。そうしてれば、音が濁ったりするわけが実感できると思う。

声に出して話すことがなくなっていったら、例外のない文法ができたりして覚えやすくなるかもしれないけど、そんなことになったら読むことはできるけど話そうとすると話しづらい、声に出して読むことが難しい言葉になっちゃうかもしれない。文章の表す意味はどっちも同じなんだけどね。