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暇と仲良くする人

見つけた言葉のメモを見返していたら、「暇と仲良くする(暇と仲良くできる人は正常)」という言葉が書かれてあった。

これは別に、「暇を楽しむ」ということではないらしい。 暇は考えようによっては嫌なもの。人によっては暇を感じるのが嫌で、予定をいっぱい詰め込む人もいるようだ。 時間を意識している人にとっては、暇に近い言葉の「何もしない」をとても無駄に感じるだろう。

そういえば、別の部分には「考えれば答えが出るわけではない」というような意味のことも書いてあった。 「暇=考えない=何もしない」ではないだろうし、何もしないのが悪いとは思わない。

今も昔も、どれだけ多くの経験を積んだかが大事と考える人は多そうだ。どんなに経験しても最後は消えてなくなるのにね。

暇と仲良くできる人が正常とすると、暇と仲良くできない人は正常ではないのだろうか。 暇と仲良くできない場合に考えられるのは、暇でない状態をつくろうとすることだろう。それにはよさそうな面もある。 楽しめる遊びやイベント、物語などを想像してつくり出す人もいるだろうから。

よくなさそうな面は、しなくてもいいことが生み出されること。どうでもいい作業や行事など、あってもなくてもいい暇つぶし。 暇つぶしの中でも、暇に耐えられない人たちから生み出されるもの。

暇と仲良くできない人の正常でないところで思いつくのは、他の人たちを巻き込むこと。一人で暇をつぶせばいいのに、大抵の場合は周りの人たちとワイワイしたりしようとする。 暇と仲良くできる人ならどうする? たぶん暇の中で自分がしたいことを一人でもするだろう。その人にとって、暇に耐えられない人の暇つぶしに巻き込まれるのは非常に迷惑かもしれない。

でも、どうやら多くの人は暇つぶしが大好きらしい。ということは、暇と仲良くできない人がほとんど→正常ではない、のだろうか。 正常かどうかの判断は抜きにしても、暇と仲良くできる人の方が他の人への影響が少ないという意味では害が少なそうに感じた。