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のんびりしたい私のアタマノナカ

できることを返す

お返し

人に何かをしてもらったときに、お返しをするとすれば自分が今できることで返すしかない。

相手の困ってることが、自分には難しくないことなら、それを手助けするとか。

現時点でお返しができないなら、またそのうちにでいいと思うし、重たい荷物を持ってあげるくらいでもいい。

ただ、お金で返すってのは何か違う気がする。

お金を集めるのが得意なことで、それが自分の能力と言うんならいいのかもしれないが、お金を集めるときに使ったスキルは他のことにも使えるのでは? 口座の数字を増やすときには頭脳を使っているはずだから。思い切りや思慮深さなど、別の作業にも応用可能な能力を使って相手へのお返しができるだろう。


できること

話をするのが得意な人なら、お気に入りのお店の話を周りに広めることでお店へのお返しができる。それは好きなお店だから口コミを広めているだけで、貸し借りの問題なんかじゃない。お気に入りの店が繁盛しすぎたら自分が行きにくくなってしまうから、みんなに知られたくない。って人もいるだろうが。

貸し借りがうまくいくように、スキルの交換をするのもいいだろう。そもそも、物々交換がうまくいかなくなったから貨幣ができたんだろうし、ネット上にもそういったことができるサービスがあるみたいだから。

一人でなんでもできるという万能な人は少ない。たとえ一人でなんでもできたとしても、すべてに於いてトップレベルの人はほぼゼロだろう。それは学校でも会社でも、家族などのグループでも同じはず。


できないこと

できないことをできるようにすることは、無駄なこと。その代わりにできることで認めてもらえたら、十分なんじゃないかと思う。今の世の中ではくだらなく見えることでも、本人が熱中して取り組んでることならばそのままにしておくべき。その人を変えようと、他のできない(=したくない)ことの平均点を上げさせるような指導は虐待に近いものではないか。

しかし、自分にできることでお返しをしないで、周りに認められるために能力を生かせないことをしてしまうのには本人にも問題がある。

それは、得意なことでお返し(勝負)するには自信がなく、みんながやってることで認められようっていう気持ちが隠されているから。


マッチング

今でも「出世払いでいいよ」とかいってお金を手渡してくれる人はいるんだろうけど、以前に比べると少ないんじゃないかって思う。

今は大学などの研究機関でさえ、効率や成果を求められるようになっているようだから。そんなところにまですぐにわかる結果を期待していたら、将来は明るくないんじゃないかと感じる。

だいたい、毎日使う生活用品みたいに家やクルマを売り上げることを目標にするなんて、気がふれてるとしか思えない。業界ではごく普通のことなんだろうけど。生活用品だって、その人の生活がいつも同じじゃないんだから、毎月、毎年同じ数消費されるわけないでしょう。

だから、できることやしたいことでお返しをするほうが自然だと考える。そして、それをうまくマッチングしていくことが大切なのでは。それでは安定した社会は作れないのかもしれない。でも、それってホント? とも思う。


平均点を上げることを目標とさせられてきた人たちにとって、もしそうなったときに考えないといけないのは、私に何ができるかってことなんだけども…。