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のんびりしたい私のアタマノナカ

面倒のなかの面白さ

私には面倒なことがかなりある。もともと自分のことはめんどくさがりだと思っているし、具体的にどんなことかと聞かれても答えることはできないが、まあいろいろあるんだと思っていた。

どんなことを面倒だと思うか考えてみると、多くは生きるために「しないといけないと感じている」ものに分類されることを面倒だと思っているらしい。

なんとも思わない人がほとんどだと思うけれど、歯を磨いたり顔を洗うことすら面倒になる人もいる。服を着替えるのが面倒とか、朝に目が覚めて布団から出るのが面倒だとか。食べることにたいして興味のない人なら食事も面倒なことに含まれるのかもしれない。

ところで、「面倒なこと=面白くないこと」なのだろうか。確かに歯を磨いたり服を着たりすることを面白いと感じながらワクワクしていることは少ないだろう。しかし、面倒なことが面白くない、というわけではないような気がする。
そういった日常生活で習慣になっていることは、面白いとか面白くないという対象になっていないのかもしれない。ただ無意識にやっていること、そんな種類のことを面白くないからやりたくないと考える人はあまりいないのだろう。

したいことをしているつもりでも、熟練していくとあまりに簡単なものに思えて面白さを感じなくなってくるものがある。少しずつ、段階にしたがって難しくなっていくようなもののほうがやる気を引き出してくれることもある。ということは、面倒だからといって面白くないということではないらしい。

もし私のように面倒くさがりの人がいるなら、試してみてほしいことがある。それは面倒だと思っても、面倒と感じながらでいいからやってみること。トイレに行くのと同じくらいの感覚でやってみるといいだろう。
トイレに行くときに面倒だけどどうしようか、なんてことを考え続ける人はいないはずだ。しないといけないと感じていることをするときに面倒さを感じるのは、「しなくていいならやりたくない」という気持ちが隠れているからだろう。やりたくなくてもしないといけないなら、やり始めるだけのこと。だらだらとやりたくない感情に浸っているからさらに面倒になっていくのだ。

するべきことをただ黙々とやっていくことで「しないといけない面倒なこと」がなくなれば、残されている面倒なことは「しなくてもいいこと」だけになっていく。その中にはまったくしなくていいこともあるだろうし、やってみたいけど面倒なこともあるだろう。しなくていいことはやらないだけだが、面倒だけどやってみたいことは大切にしたほうがいい。なぜなら、この中にしか面白いことは含まれていないからだ。

やってみたい面倒なことに手をつけていくことで、面白いことを見つけることができるかもしれない。しかし、もし見つかったとしても、すごくやりたいことだとは限らない。

たとえそれが仕事にするのに適当な「毎日してもいいくらい面倒なこと」でもいいではないか。
少しでも面白いことを見つけられる可能性が、面倒なことの中にあるわけだから。