書いて浮かべるブログ

書きながら考える

のんびりしたい私のアタマノナカ

迷ったり悩んだりする時間も案外無駄ではないと思う

買い物に迷うときって結構ある。優柔不断といえばそれまでだけど、これまでは悩んでるのに気づいたら買うようにしていた。

そう思っていても、ちょくちょく気になるものは出てくるわけで。特に本は書店などで内容を見てみないと判断できない人だから、手にとって見れない本を買うときはある意味賭けだともいえる。

物語のようなものに比べて、解説書の類は自分で読むというか使ってみないと気に入るかわからない。でも、書店になくて図書館にリクエストもできない場合、ネットでサンプルページも見れない本なら買ってみるしかないということに。だって、そうしないと読むことができないから。

”悩む理由が値段なら買え”のような言葉もあったと思うけど、内容がよくわからなくて価値判断ができないものなので、極端にいうと中身を知っていたら絶対買わなかったって可能性もある。さらに困ったことに、同じ分野の本を買おうとしたりすると悩みは深くなっていく。

これまでに読んだ本を見てみると、同じ分野の本であってもそれぞれに特徴があって楽しい。内容はたいして変わらないのに、文体やレイアウト、イラストや色使いが違っているから優劣はなくて好みの問題。かといってどれかが一番ってわけでもなく、大袈裟にいうとそれなりに個性があるように感じたりもする。

それじゃあ、”買ってみて、要らないと思ったらすぐ手放すのは?”とも思うのだけど、なぜか一度手に入れて早急に手放したことはほとんどない。悩んでいることに気づくと同時に買っていたはずなのに…。持ってるだけの価値はあるということなんだろうかね。

そもそも、悩んでる時間って無駄な時間だと言われがちだけど、”別にいいんじゃない?”とも思う。「悩む」っていうから無駄に感じるわけで、「楽しむ」って考えればそれはそれでいい気もする。それに、迷うということは緊急性がないということでもあるだろうから、なにも即決する必要はないでしょう。

なにかを手に入れようとして迷い始めたら、ひとまず無理に決めるのをやめて頭の片隅に置いておく。そして、気になったときに再度検討してみて、決まらないならまた放置。そんな感じがいいのかもしれない。

確かに、”早くて無駄がないのがいい”のはわかる。でも、もともとゆっくりしたペースの人が、迷うのが辛いから他人の思考法をインストールするってのは、もしかしたら不自然なのかもよ。すごく急いでるのでもない限り、”自分で決断できるまで保留し続ける”って時間があってもいいじゃん、と思った。

お金がポイントみたいに期限切れになるってのはダメなの?

もしお金にポイントみたいな利用期限があったら、どうなんだろう? 一部の裕福な方々の問題とされている(らしい)、お金を使ってくれない状況が変わったりしないだろうか。

そろそろキャッシュレス還元(正式にはキャッシュレス・ポイント還元事業)が終了するので、駆け込みの買い物を考えてる人もいるのでは? ショップによってはポイント還元でなく、購入時に値引きしているとこもあるので”必要なものがあれば買っておこう”という気持ちになるよね。ちょっと考えてみたけど、私の場合は食料品や生活必需品以外に今すぐ買っとかないといけないものは思いつかなかった…。

そんな感じに、”高くなるなら、その前に買う”って考える人は多いと思う。還元されたポイントについても、有効期限が来る前に使ってしまおうと考えるのは普通だろうし。確か、電子マネーもクレジットカードもお金を使った感じに乏しいので、現金と比べると多めに買い物をしてしまいがち、という調査結果が出てたはず。

なので、お金も一度手に入れたらずっと持っていられるんじゃなく、有効期限などをうまく設定して”貯めるよりも使おう”という気にさせられないかと考えたわけ。

そりゃ、せっかく集めたんだから将来の安心のために握りしめていたいのはよくわかります。でも、それでは経済がうまく回らなくなるということなので(私は専門家ではないので、本当にそうなのかの説明はできませんが)、「使わないと使えなくなるよ」っていうふうにでもならない限り、大きな変化は起きないでしょう。だって、使えば世の中のためになるって言われても、やっぱり備えのことを考えてないと不安だもん。私のような人は、もう開き直るしかないけど(泣)。

ただ、一般の人が分割払いにしないと買えない高額な物を有効期限つきのお金で買うのは難しそうなので、そこはひとまず例外にしとかないとなあ。あとは、期限切れになるかもしれないお金に対しての税金をどうするか。

とはいえ、お金を貯めて持ち続けることができないとしたら、人生観が変わるのは間違いなさそう。節約や我慢をほどほどにして、しっかり使う。今は”お金はあの世に持っていけない”って話があるけど、それ以前に有効期限切れになっちゃうんだから価値観変わるでしょ。

生きてる間に実現されたらうれしいけど、社会を動かしてる方々にとっていい話じゃないだろうから、残念ながら単なる理想論で終わるんだろねえ。

自分の力で私を強引に動かすのはやめる

不思議なもので、本を最初からきちんと読み進めることができない、ってことに近頃気づいた。

本といっても、物語的なものはよほど面白さを感じないものでない限り、なんとか読んでいける。読めないというか、頭に入っていかなくて眠くなるのだ。とはいえ、興味のない本を読んでるわけではない。読みたいのは語学の解説書のようなタイプで、本当に読みたい本なのですよ。

読書法の本によると、目次を見てイメージを膨らませてから読むのが良い、てなことが書いてあったなと思って試してみるも、つまみ読みになってしまってうまくいかない。本は読めないものだ、との記載を何かで読んだし。と納得したとしても、それではなんの解決にもならずお話にならない。

どうしたらいいんだろう、と思いながらページをめくる。目についたところを少しだけ見て、無理に読もうとはしない。そのほうが内容が入ってくる気もする。読もうとすると読めなくて、読むつもりもなくページをめくると読めるなんて。一体どういうことなんだろ。

たぶん、一般の人はちゃんと読もうとしていれば内容が頭に入ってくるものなんだと思う。でも、私はそうはいかない。どうやら、頭がひねくれているようだ。”読んでやろう”なんて思わないでパラパラと紙をめくっている間は、頭も油断しているかもしれない。だからこそ、”しっかり読んで勉強するぞ!”なんて意気込むと、めんどくさがりでひねくれた私の頭は頑なになってしまい、睡魔を使って対抗してくるのだと理解した。

もし、この方法が他のことにも使えるのなら、家の大掃除をしたいときとかダイエットなんかに有効かも。何かをしたいときには、意気込んだりしないでなんとなくやり始める。いつまでに終わらせるとか期限を設けるやり方はプレッシャーを与えるだけで、私の頭のようなひねくれた奴には通用しないのだろうし。

それにしても頭と体の間だけでなく、自分の心も含めてコミュニケーションをとるのって面倒。それぞれの言い分を聞いて、みんなをそれなりに満足させられるように努めないといけないのね。

頭だけで突っ走らないで体のことを考えてみる

午後3時くらいになると、気分が暗くなることがあったので「なんで?」って思ってた。

これって、ただの”疲れた”、”腹へった”、”眠い”、”風呂入りたい”などの合図で、別に頭の中に問題があるわけではない、ようだ。

現に、お風呂に入って、何かを食べ、昼寝をすれば大抵は気分が良くなってくる。

なのに、深刻な問題のような気分でその時間を過ごしていたことがあったとしたら、それは大変にもったいないことをしている。

何かを判断する体が普通でなかったら、まともな判断などできるわけがない。こんな状態のときには、いつもは楽しいはずのことも楽しめない。それなのに、病院へ行って症状を伝えようものなら何かの病気にされかねない。ひとまずは”休息をとるべし”なのだ。

そんなことを考えていると、

今週のお題「私の好きなアイス」

の言葉が目についた。

好きなアイスねえ…。特に思いつかない。あえていえば、ラクトアイスというやつが好きだな。かき氷系のやつはどうも好きになれん。シロップやらがたくさんかかっていればおいしそうな気もするけど、いくらサックサックのかき氷であっても喉から手が出るほどはいらないかな。

それにしても、ここは暑い。壊れているかもしれない温度計を見てみると、30度を指している。この状況下において、かき氷を差し出されたらおそらく喜んで食べてしまうだろう。実際、そんなことはないのだけれども。

どうでもいいことをさっきからつらつら入力しているが、つまりはまともな環境にいないとちゃんとした判断はできないだろうということ。持ち込み禁止の映画館にキャラメルポップコーンの匂いが充満させられていたら、普段は財布の紐をしっかり締めている人でもアッサリ高額なポップコーンを買ってしまう可能性がある。私は、ほぼないが。

しんどさを感じたら、精神力だけで持ちこたえようとせずにまずは体のことを労ってあげよう。そうでないと、後々どうしようもない疲労感とともに体からの逆襲が来ると思うから。

頭は、疲れを感じていないかのように無視できてしまうから、感情も含めた体の声に耳をすませたほうがいいんでしょうな。

macOS Catalina 10.15.5がきた

macOS Catalina 10.15.5で「バッテリーの状態管理」という機能が追加されたらしいから、早速インストールしてみた。

バッテリーの消耗を抑えて、経年劣化を送らせてくれるものらしい。まさにうちのMacBookにピッタリ。セキュリティアップデートが多かったのか、それなりに時間がかかった。

インストールが完了したので「バッテリーの状態管理」を探してみるも、そんなメニューはどこにも追加されてない! どうやら、省エネルギーのメニューに追加されるようなのだけど見つからない。調べてみると、うちのMacBook2015のように古い機種では表示されないようだ…。

その後一週間ほど使ってるけど、バッテリー消費が遅くなった気はする。以前表示されてしまった”バッテリーの交換修理”の表示が出る気配もない。

そういえば、だいぶ前にわかったんだけどMacBookをスリープさせるとき、メニューバーにあるアップルマークの横に”Finder”と表示された状態でスリープさせるとスリープ中のバッテリー消費が少ない(具体的にはFinderをアクティブにしておくか、デスクトップ背景をクリックすると”Finder”の表示になります)。逆に、Safariなどのアプリケーションがアクティブになってると、スリープ中に結構バッテリーを食う。

アクティビティモニタを見てみると、スリープ中にはすべてのアプリケーションがスリープしてるようなんだけど、どうしてなんだろね。MacBookの持ち運びはしないため、バッテリー容量は少なくなってもいいから”バッテリーの交換修理”の表示はしないでほしいですな。

いま関心があることを学ぼう

近頃、なぜか学生用の英語学習書に興味がある。

当時持っていた参考書や辞書などを持っていたらよかったのだけど、社会人になったときくらいに処分してしまったので、同じようなタイミングで手放そうとしている方から中古本を譲り受けているといった状況。

辞書も参考書も、ものすごくわかりやすく書かれていて面白い。自分が使っていたときの本がこれほどわかりやすかったかどうかは不明だけれど、学生の頃よりも楽しく読ませていただいている。

これって、一体どういうことなんだろう? って思った。若いときの方が記憶力に優れているらしいし、わからないところを解説してもらえる環境にあったのに、今の方が興味を持って学習できるなんて。

まず考えられるのは、テストがないというのがあるだろうね。一応大人なので、他の誰かに決められたスケジュールに合わせたり、学習の定着度合いを測られることがない。試験でいい点をとる必要もない趣味のようなものだから、好きなように勉強できる。それだけだろか?

もう一つ、10代の頃と違った見方をしてるというのがあるかもしれないな。学生のときには、外国語だけでなく数学でも何のために学習するのか、何に役立つのかがわかりづらかった。私だけかもしれないが、ただ試験に合格するため、みたいにとらえていたんだと思う。そう考えると、社会人になる前に興味のあるコンピュータについて学んで、比較的簡単に学べたことの説明もつく。

個人的な意見を言ってしまうと、人に勉強を身につけてもらうには適切な教材を与えて興味を持たせるだけでいいと思う。確かに関心を示していない人を訓練すれば高得点を取らせることはできるだろうけど、それでは私の学生時代とたいして変わらなくなってしまう。将来役に立たないわけではないけど、たぶん合格するためだけの教育を受けた人はその学問を好きにはなれないんじゃないかな。(もちろん、手段として試験に合格しなきゃいけないときは点数をとるための対策も必要ですね)

だいぶ前から”大人の学び直し”という言葉を聞く。それとはちょっと違ったニュアンスで、昔学んだはずのことを改めて勉強するのは楽しいと感じた。少し懐かしさを感じる学生用の本を眺めつつ、今はいつでも学習できる豊かな時代なんだから、これまで興味がなかったこともやってみないとね、と思った。

iPad Pro用のMagic Keyboardが登場

iPad Proがアップデートされたことに加えて、iPad Pro11&12.9ではトラックパッド付きのキーボード(Magic Keyboard)が使えるようになったらしい。

ある意味これって、前から話題になってるARM版のMacBookといえるかも。ただ今の価格では、新しくなったMacBook Airを買ったほうが安いので、わざわざiPad ProとMagic Keyboardの組み合わせを選ぶことはなさそう。

じゃあ、うわさ通りにMacOSが動くARM版MacBookが発表されるのかというと、MacBook Airより安い価格のMacBookは出てきそうにない。もし可能性があるとしても、iPadOS上でMacOSのアプリを使えるようになるくらいでは?

それに、あのMagic Keyboardの形状ではApple Pencilが使いにくそうな気がする。いい感じに可動して使いやすくなるような仕掛けがあるのかな。

個人的には第一世代のApple PencilとiPadOSが使えればいいので、高価なiPadは必要ない。ということで、次に使うとすれば無印のiPadで十分だ。今回はそんな感じ。

そりゃ、MacBook Airより安い10万円未満の価格でARM版のMacBookが手に入るなら嬉しいけど、そんなものは発表されそうにない。だって、そしたらiPad Proが売れなくなりそうだし、iPadよりも用途の広いMacのほうが安くなるとは思えないから。

つまり、うわさのARM版MacBookiPad Pro+Magic Keyboardってことなんじゃないのかな。

ipadとMacBookの使い分け?どっちがいい?なんて比較にはそもそも意味がない

iPadとMacBook

簡単にいうと、MacBookを修理に出したら、iPadが好きになったって話。

MacBookがない間、iPadを使ってみた

MacBookをバッテリー交換のため配送修理に出してる間、iPadで文字入力をしてみた。

最初はWindowsマシンでフルサイズのキーボードを使っていたんだけど、ふかふかしたキーが使いづらく、設置場所的にもやりにくかったのでiPadを使うことに。

具体的には5万文字くらいの文字起こしをしてみたのだけど、案外作業しやすかった。 Split Viewを使えば左にテキストエディタ、右にオーディオプレーヤーを並べて作業できるし、フローティングキーボードを使うと画面が広く使えるだけでなく、iPhoneみたいにフリック入力もできる。

iPadならではのいいところ

MacBookと違うのは、左右のアプリが両方ともアクティブだから両手で作業できること。MacBookの場合はエディタとプレイヤーをタップで切り替える必要があるから、iPadのほうが都合がいい。 加えて、予測候補が選びやすいので、文章をすべて入力しなくていい。

さらに、携帯ゲーム機で遊ぶように自由な体勢で作業ができる。例えば布団の中でも。両手でiPadを持って作業してるから、はたから見るとゲームしてるようにも見えるのがイマイチ?

今後のMacBookに望むこと

結局MacBookのバッテリーは交換しないことになったんだけど、もともと故障ではなくバッテリー交換したら延命できるかな? と考えて修理に出してたので、余計なお金をかけなくてよかったな、と思ったくらい。

ずっとiPadで文字入力をしてたので、返ってきたMacBookを使ったときにはキーストロークに違和感を感じた。もともと浅いキーストロークのはずなのに。

今後のMacBookはバタフライ式からシザー式に戻るようだけど、そんなことよりタッチパネルがキーボードの代わりにもなるようなパソコンを作ってほしい。そうしたらキーボードにホコリが入って誤作動というようなトラブルはなくなるので。

iPadMacBookの代わりではない

もしかすると、故障しやすかったり余分なスペースを必要とするキーボードをAppleはやめたいのでは? 実は、iPadで十分なことをMacBookでやろうとしたがる人たちは老害のようなものなのかも。だから、特殊用途向けにわざとMacBookには高めの値段が設定されているのかもしれないね。

ただし、iPadで文字入力するときは全角スペースやタブなどをユーザ辞書に登録しておかないと不便なので注意。 あと、最強の文字入力方法は音声入力だということもお忘れなく。

今回iPadを使いながら感じたのは、これまでパソコンでやってきたファイル主体の使い方のままではiPadは使いづらいということ。iPadではデータを変更したときにアプリ単位でファイルが保存されるので、考え方をアプリ主体にしたほうが都合がいい。

iPadMacに近づけるなんて話よりも、使う側の考え方を新しくする必要があるんだと思った。

年齢と集中力

晦日から久々の体調不良で、ゴロゴロしてます(笑)。 熱もないし、ウイルスとかではない、ことを願う。

そんな寝正月の中、”年をとると好きなことにも集中できなくなるという話を聞くけど、それは違うのでは?”と思った。

好きなことに長く集中できないというよりも、それはもうとっくに飽きてることだからだろう。 同じような感じで、自分を律して好きでもないことを続けるのは難しくなってくる。

しなきゃいけないことだから、どうにかして終わらせるようなこと。

することはできるけど、終わった後の疲れがなかなかとれないような…。 良く言えば、無理ができなくて素直になった、ってことか。

体調を崩さないよう、自分と相談しながらやってかないとね。

より良い方法を考えているか

手順の決まってることでも初めてするときにはめんどくさい。

そんなことでもずっとやっていればだんだんなんにも思わなくなる。

それなりの時間は経っているんだけど、気持ち的な抵抗は最初の頃に比べるとかなり少ない。

面倒だと思っているのは脳だという話を昔聞いた。

やり始めるまでが勝負だということも。

辛い繰り返し作業でも、続けていれば負担は少なくなる。

そうなったら自動化されたということらしい。

反復するとできるようになるし、楽になる。

このことを人は昔からよく知っていた。

大抵のことはやっていればそれなりにできるようになっていく。

脳からすれば、体を使うことも頭を使うこともおんなじだ。

だから、「向いてないことはしない」というのは話がおかしい。

向いてなさそうだから、やってみる価値がある。といってもいい。


「やってればできるようになるから、何も考えずにやれ」

「やりたいことなら、努力を苦労とは感じないはずだ」

「向いてるかどうかはやってみないとわからないだろ」


こんな言い方では入ってこない。伝えようとしてるのではないのかもしれないけど。

ちゃんと相手の特性に合わせて、伝わりそうな言葉を選ぶ必要がある。


できるようになるというのは脳の好物のようで、周りから見たらくだらないと思われることでもスムーズにできるようになると快感を覚えるようになる。

そういう意味ではどんなことでも、何かきっかけさえあればはまり込む可能性があるということ。きっかけというのは結構すごいものだと思う。


例えば、パソコンを長く使っているとゴミが溜まってくるといわれる。たまにはクリーンインストールをする方がいいという話もある。

人も同じようなものなのかもしれない。

成長する能力は持っているのに常に過去の記憶を引きずっているから、生まれ変わることが難しい。

おそらく、前へ進むためにはすべてを記憶しておく必要がないのだと思う。

頭を空っぽにしてくれるものに熱中しようとしたり、過去をいつまでも覚えていて、少しでもいい思い出に変えようとしたりするのも、本当は前に進んでいきたいからなのかもしれない。


持っているものの良し悪しよりも、持っているものの使い方が大事だということを知っておこう。

そうしたことをきちんと伝えられているだろうか。

そのまま

流れに乗って行きたい方向へいく

流れをつかんで行きたいとこに近づく

流れをつくって行きたい場所にいく

どれも似てるけど少し違う

結局は流れに逆らったり


必要とされたことをする

必要とされるようになる

必要とされることを考える

必要とされてるかなんて わかりもしないのに


意外とできないのは 感じたままのこと

それじゃいけないって思ってる

向上心なのか 自信がないのか

頭の中がひねくれてるのか

そのままでいたほうが たぶん後悔しないのにね

長いつきあいなら もちろん

おつきあいをはじめたばかりでも

そのうち 傷はついてしまうもの


傷なんてないほうがいい

どうにかして 消そうとする

でも もとには戻らない


模様だと考えてみたら

デザインだと思ってみるのも

ありかもしれない


そんな目で見られたら

みんなと同じだったものが

私だけのオーダーメイドになる

価値

ほしい人が多いと 高くなって

ほしい人が少ないと 安くなる

需要と供給の関係ってやつ


みんなほしがるものは いいもので

ほしがらないものは わるいもの?

そういうわけではありません


それならみんなと違ったほうが

そんなのが好みのほうが

いいんでない?

競争

住む世界の違う人は意識することもないのかもしれないが、この世は競争で成り立っている。いつも全員が勝ち組にいられるわけではないから、勝てなかったときにどうしたらいいのかは知っておいた方がいいのだろう。

全員合格とか順位はつけないなんてやり方は、少なくてもここでは普通ではない。もし誰にでも勝つ可能性があったとしても、同時に負ける可能性がある。勝てなくても成り立つようなやり方をするならまだしも、勝たないと成り立たないやり方をするのなら、”まずは競争が大事だ”とはっきり伝えるべきだと思う。

表向きはみんな同じ。でも本当は違う。それを指摘されると、”世の中は矛盾だらけだから仕方ない”というような話になる。

別に、言ってることと実態が違っても構わない。ただ本当のところがわかってるなら、それを伝えていってほしい。勝ち負けに左右されず矛盾があっても問題ないと感じられる、いい意味でのいいかげんを作るのもいいし、困難だがなんとかして矛盾のない状態を作るのもいい。

競争に勝った側と負けた側の差が大きいから、競争をなくしたいと考えるのかな。すべてを良くするのは難しいから、競争をさせて数を減らすしかないのかな。

勝ったものを優遇しすぎるのがよくないのかもしれない。前に勝ったとしても昔の話、今回はまた最初からっていうのも案外面白いのかも。

ずっと勝ってきていると、おそらく負けるのに弱くなる。勝つのが当然になってしまって、負けるのが怖くなる。他のことに挑戦したくなくなって、勝ってるうちにこれからも負けないような仕組みを作り上げていく。

うむ。かわいそうな気もするな。一度勝ったところから抜けることができなくなりそうだから。勝ってしまったことで、好きでもない、たいして魅力を感じないことにこだわり続けることもありそうだ。

勝ち負けを決める、それだけでいいじゃないか。例えば、どちらにしても賞品は同じで待遇も変わらないとか。

そうならないのは、競争するのが好きだからなのだろう。”勝ち負けなんていらない”とか言いながら、ずっと勝っていられるならこのままがいい、所詮はそんなもの。近くの環境を良くするためなら、ずっと遠くが悪くなっても気にならない。

それはそうでしょう。経済だってなんだって、こっちが勝つためにはどこかが負けないといけないんだろうし、逆もまた然り。やっぱり、勝ちたいなら競争を認めるしかないんでしょ。

買ってないけど、いまさらiPhone11の感想

iPhone11シリーズが発売されて、ひと月ほど経った。今回も購入する予定はないけど、ここらでひとまず頭の中にまとまってきた感想を書いておく。

まず、今回の魅力はカメラ。私の場合、0.5倍ズームに加えてポートレートモードで2倍ズームが使いたいから、Proを選ぶしかない。

サイズも縁の大きさもそれほど気にならないけど、背面ガラスがサラサラよりも手に吸い付く方が好み。これは、実機を触ったときに、背面ガラスがサラサラだと手を滑らして落としてしまいそうだったから。おじさんだけど、乾燥肌なので。同じく、フレームもアルミよりもステンレスの方が滑りにくそうでいい感じ。

厚くするのは嫌だから複数のレンズを採用。2眼も3眼も気にならない。おかげで少しだけ厚くなり、バッテリー容量が増えた。

3D Touchがなくなったのは残念だけど、代わりになるものがあるなら問題ないと思う。厚さの低減にもつながりそうだし。

高いほうのProを選んだら売るときにも高く売れるし、バッテリー持続時間が長いから製品としての寿命も長い。つまり、どのモデルを買っても変わらない。

iPhone11はProより大きいけど、大きさには慣れるもの。両手で扱えばいい。

プロセッサの違いがあるので、新モデルは一年長く使える。だから、多少安かったとしても旧モデルを買う気はまったく起きない。よほどのセールでもない限りは最新モデルを買うと思う。