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のんびりしたい私のアタマノナカ

オリンピックが無観客ってどうなの?

オリンピックは、東京などの4都県で無観客となることが決まった。

そんなにスポーツには興味がないけれど、オリンピックに向けてさまざまな計画が進行している中では、このギリギリの時期まで決定することができなかったんだろう。すでに先行してお金が流れているようなので、延期や中止になるより何としてでも開催したいということか。

オリンピックにそれほど関心がない私でも、その場で観戦するのと画面で見るのとの違いくらいはわかる。今の技術では、いくらキレイで大きな画面と臨場感あふれる音声を用意しても実際に会場にいるのには到底かなわない。観戦したくてチケットを購入している人にとってはもちろん、観客がいなければ選手だって非常にがっかりだろう。

言い過ぎかもしれないが観客がいないのなら、それぞれの選手がリモートで競い合うリモートオリンピックでもいいんじゃない? だって、選手同士の感染だって考えられるわけで。

検査してるからOKってことなら、人数を制限したうえで、検査でOKの人のみ観戦できるようにしてくれ、って思う人もいるでしょう。むしろ緊急事態宣言の発令に関係なく、全競技会場で無観客か人数制限して開催、このどちらかに統一したほうがいいんじゃないの?

当然、経済に大きな影響もある。コロナ禍になって飲食店はダメージを受け続けてるし、観光業界だって。でもこれは、まあ仕方ないのかな。コロナ禍で大きく売上を伸ばした業界もあるそうだから、世の中の流れというか。大変だけど、同じやり方でずっと安泰ってのはありえないってこと、変わっていくものってことなんだろう…。

それにしても、観戦と感染の読みが同じなのって何とかならないのかな。スポーツ感染(スポーツ中に感染)でも意味が通じそうだし。聞いただけじゃ、わかりづらいじゃん。

雨女と雨犬

雨に降られやすい人とかってあるのかな。少なくてもお嫁さんはそっち系だと思う。

犬の散歩に出かけた途端に雨が降ってきたり、降ってきたからって帰ると止んだり。低気圧女なのかもしれない。

たいていそういう時に私はついて行ってないのだけれど、この間は一緒だった。確かにもうすぐ降り出しそうって雰囲気はあったけど、出かけてすぐに雨が降り出した。雨に打たれながら、「夕立みたいだからもうすぐ止む」と言うも降り方がだんだん強くなってくる。さすがにびしょ濡れになりそうなので引き返して帰ってみると、少し雨が弱くなってきて止みそうな気配がしたり…。

結局その日は降り続いたので、出かけたから雨ってことはなかったんだけど、一緒に行動するときは雨に降られる確率が高いような気はする。さらに、犬と散歩に行った時に降られて帰ってくることが多い気もするから、雨女と雨犬の組み合わせってのはあるかも。

もしかすると雨を引き寄せる人ってのが存在するのかもしれないけど、単純に雨が降りそうな感じを察知すると外出したくなるってことなのかな。それなら理解できる。

とはいえ、晴れ女・雨男ってのは昔から聞く言葉でもあるので、天気と人の行動との間に何らかの因果関係はありそう。ちゃんと天気予報をチェックして、降りそうにない時間帯を選んでるのに降られちゃうんだもんね。

ロングセラーの参考書

昨夜は暑くて寝苦しかった。熱帯夜というのかな。でもおかげで夜中に少し読書ができて良かったかも。

今朝思ったのは、ただの古い参考書ではなくて、長く販売されている古い参考書もいいかもって話。

たとえば小学生用の算数ドリルで、おはじきとかが扱われてたりするもの。今の子はおはじきを知らないかもしれないし、文章問題で登場する子の名前が古臭かったりする。今でも書店で新品が売られているものだから、iPodのようなものが載っていたりもしてなんだかチグハグさもある。

でも、これはこれでいいんだろうな。おはじきを知らなくても、親やおばあちゃんは知ってるかもしれないし、ネットで検索すればどんなものかもわかる。古く感じる名前だって同じ。昔はこんな名前がはやってたんだなって、家族の話のネタにもなりそうだし、むしろ今に合わせた記述より面白く感じたりするのかも。

古くから販売されてる本の大きなメリットとして考えられるのが、解答のミスが少なくなること。初めから全然ミスのない本はなかなかなく、作られてから長く時間が経っている本は間違いが訂正されている可能性が高い。よくわかってる内容の復習なら問題や解答の間違いにも気づけるけど、そうでない場合の間違いは学習に影響があるだろうし。

それにしても、子ども用のドリルに直接書き込む子なんてそんなにいるのかな。子どもの頃はプリント学習が多くて、ドリルや問題集を使った覚えはない。だから、問題数と価格を考えると子ども用の教材はとても高く感じてしまう。子どもに対応できる文字数を考えた分量ってのもあるんだろうけど、もしかしたらコピー利用されることも考えた価格設定なのかも。今は(昔から?)複数の書籍から良さそうな問題を抜き出してプリントにしたりするのはまずいだろうからね。

そうしたときにも古い参考書が役立ちそう。昔から売られているから安い中古も買えそうだ。ただ、そうした考え方ができるのってせいぜい算数、理科くらいなんだろな。

体は正直

どうも風疹の予防接種をしていない世代らしく、抗体検査が無料でできるという案内が来たので受けてみた。期限が今年度までって書かれてたことも理由の一つ。あまり採血することはないんだけど、よく献血をしてたことはあったし、特に血を見るのが苦手とかじゃない。

数時間経ってからすごくだるくなってきて、そんなの初めてだったから血を抜いたからかな? と思った。でも、どうやら採血で抜くのは大さじ1、2杯分とかのようで大した量ではなさそう。

看護師さんから「よそを向いて他方がいいですよ」と言われたこともあり採血の様子はみていなかったので、ほんとにそんな少ない量だったのかどうかは不明だけど。だるいってことはそれなりに影響のある量なのかな。もしくは心理的なものとか。

これまで大丈夫だったから、今度も大丈夫って頭では思ってても、そうじゃないこともある。そんな予想の面では頭の判断は当てにならないのかも。前回ダメだったから今回もダメだろう、とか。イメージトレーニングって意味でいいように働くこともあるけれど、体に関してはそれだけじゃないってこと。だから何も異常を感じてなくても、定期的な健康診断は大事っていわれるのかな。

かといって、大したことない症状を病気扱いされるのも嫌だから、検査と治療は切り離して考えたいかな。いい評判はもらえそうにないけど、病人じゃないからもう来なくていいですっていう態度の医者の方が親切なのかもしれない。今回行った病院は初めてだったけど、好感が持てそうなのでまた何かあった時にはお世話になりたいと思った。

もう体が頭の思い通りにならない年齢ってこともありそうなので、なんでも思った通りに無理させるんじゃなく、体の様子をうかがいながらやってかないと体を壊しちゃうんだろね。

トランスポーター3 アンリミテッド

たいした感想もない、ただの日記のようなもの。

GYAO!で「トランスポーター3 アンリミテッド」を見た。1、2も見たと思うけど、カーアクションムービーって大体おんなじなので、どんなだったか覚えていない。

アウディは特に好みではなかったけど、カッコよく見えてくる。頭髪は控えめでケンカに強く、がっしりとした肉体美、走りも早いし、自転車でのスタントもできる。そんな主人公は日本の映画シーンにはそんなに登場しないんじゃないだろうか。(謙さんくらい?)

この映画はフランス・アメリカ合作らしいけど、海外には歳をとるのが楽しみになるような俳優さんが多いように感じるのは気のせい? カーアクションは当然ありえないことだらけで、映画なんだからいいんじゃないっていう感じの内容。TAXiシリーズが好きだったけど、こっちの方がいいかも。(これって、GYAO!のレビューに書いた方がよかったのかな)

ところで、同じリュック・ベッソンつながりでもレオンはどうも見た覚えがない。うーん、自分でもよくわからないけれど、カーアクションが好きなんだろうか。

たまにDVDのレンタルしにお店に行くことがあるんだけど、コロナ禍でのサブスク移行率はとても高いと思う。おかげでかどうかはわからないが、お店は三密でもなんでもないし。

聞いたところでは、Amazonかどこかが新作を安くして旧作でも人気作は有料ってビジネスモデルをやってるとか。逆転の発想。確かにGYAO!でも有名作は無料で見れるのが少ない気がする。

この映画は? っていわれると、無料だから見たらいいんじゃない、って感じかなあ。

新型コロナワクチン

新型コロナワクチンについてニュースに書かれてるものを見ると、不安だとかハラスメントがあるとか。いろいろ。

打ちたい人は打って、打ちたくない人は打たないでよい、という自己責任な感じのようだか、では国としてなんのために全員分のワクチンを用意するのか。

変異株には対応できないとかなんとかで、もしかすると効果がないかもしれない。それでも本当は全員に強制したい。なぜなら、少しでも安心してもらいたいから(予想)。しかし、強制はできない。

となると、接種されないワクチンが余る。期限もあるだろうから他の国に譲流とかになって、輸送費もかかってくるだろう…。

心配なのは、ワクチン打ったら感染しないし、周りに感染させないと安心しきってる人。(2回目も受けたの? 変異株もあるよ。マスクしてるからって人の集まるところ、用もないのにショッピングモールとかに毎週休みの日に行くのはどうかと思うよ)

数十年後、歴史の資料集のところにカッコ付きで安倍のマスクとか載るのかな。

人をまとめるのは大変。

Pocketも見返し。記憶について

WorkFlowyに続いて、Pocketも見返してみた。こちらはWebサイトのメモなので、それほど数はなかったけど数十のサイトが保存してある。でも、中にはリンクが切れていてアクセスできなくなってたり、文字化けしてしまうサイトも。

こっちはテキストのメモと比べると記録したのを覚えていないものが多かった。気になったことだけを書いたテキストと違ってサイトを記録してるからだろうね。

Pocketって、あとで読むためのサービスだったと思うけど、あとで読んだりしてなかったから本来の使い方をしてなかったんだろうなあ。これも確か最初はEvernoteにWebクリップをしてたのをこっちでするようになった気がする。URLだけの保存ならWorkFlowyでもできるけど、Webにアクセスする前に大まかな内容がわかるからこれはこれで使い続けてもいいかな。

メモのいいところは、思い出すためのきっかけを作れるところ。記憶ってのは、いくら脳の中に収められていたとしても見出しのようなものにアクセスしないと思い出すことができないといわれている。だから思い出そうとして思い出せないことでも、関連の文章を読んだり音楽を聴いたりした時には一気に記憶が蘇ってくるんだろう。

こういったメモをうまく利用できると、メモを通して記憶の見出しが整理できるんだろうが…なかなかうまくいかないのでほどほどの付き合いにしておく。

まあ、普段から全部の記憶にアクセスできる状態はちょっと考えただけでも普段生きていくのに支障が出そうだから、これはこれで合理的なシステムなのかなと思う。

そういえば、メモの中にあったフリーゲームのTactical Chronicleはそのうちプレイしてみたいかなあ。積み本に加えて、積みゲーも結構あるのでまだまだ先、というか今世ではクリアし切れないかもしれないけども、つまみプレイくらいはさせていただこうかな…。

WorkFlowyのメモを見返した

なんとなく気になったことをWorkFlowyに保存してるんだけど、見返すことはなかった。で、見てみると結構な量のメモが溜まってた。

何かに使うために残してたわけじゃないから、特に使い道はない。でも、サラサラ見てみると、あの時はこんなことが気になってたんだなとか、あの本を読んでこういうところが気になったんだな、というのがわかる。そんなに何年も記録を続けてるわけじゃないので、別人のメモを見ているような気分にはさすがにならない。

元はといえば、Evernoteに記録する習慣をつけよう、みたいな話がよく言われてた時に始めたんだと思う。ただ、Evernoteは画像が貼れるだけじゃなくて多機能だったから少々動作が重かったし、無料プランで写真を貼ったりしながら使うには月の容量制限が厳しかったりしたのでだんだん記録するのが面倒になっていった。

そんな時に見つけたのがWorkFlowyで、ブラウザでもアプリでも軽快に使えるから、気になったことをちょくちょくメモしてる。Evernoteの時みたいに毎日記録するとかはやめにして、気になった時にテキストをメモするだけ。

それでもかなりの量になるんだから、少しずつでも続けることの成果ってのは侮れない。ま、記録してたからって何かの役に立つわけじゃないんだけど、なんらかの検索ワードを思いついた時に一度は気になった言葉たちの中を見てみるってのは価値のあることなんじゃないかな。

でもやっぱり、いくら記録を続けても全体を見返すことはたぶんこれからもしないと思う。となると、無駄なデータをサーバーに保存しているような気もする…。写真みたいに容量の大きいデータじゃなく、小さなテキストデータだから、許してください。

【Switch】ニンテンドーeショップでau PAYプリペイドカード(au WALLETプリペイドカード)を使って残高を使い切る

au PAYプリペイドカード(au WALLETプリペイドカード)[以下、au PAYプリペイドカード]を使って、ニンテンドーアカウントに残高を残さない方法。

セールに釣られてゲームを買おうとしたけど、久しぶりで迷ったから記録しとく。

au PAYプリペイドカードから残高の追加は、500円、1000円、1500円、3000円とかの単位で追加するしかない。 でも、次いつ買い物するか分からないのに残高が残るのは嫌だ。 かといって、au PAYプリペイドカードをクレジットカードとして登録しようとしても登録はできない。

ところが、「不足分」を支払うという形ならau PAYプリペイドカードが使える。 そうすることでニンテンドーアカウントに残高を残さず、ピッタリ使い切ることが可能。

<やり方>

1.ニンテンドーアカウントの残高が足りない状態でゲームソフトを購入しようとすると「残高が不足しています。追加方法を選んでください」といわれるが、この時に「クレジットカード」を選択してau PAYプリペイドのカード番号、使用期限、セキュリティコードを入力。

※ここの「プリペイドカード」はニンテンドープリペイドカードのことなので、紛らわしく感じるかもだけど「プリペイドカード」でなく「クレジットカード」を選択)

2.そうすると、ご注文内容の確認画面になるので「残高を追加して購入」を選択。

※この操作の前に、au PAY残高を確認しておくこと

またダウンロード版のセールが行われた時は、この方法で買ってみよう。

大事なものをトンビに盗まれる

朝夕が涼しくなってきて散歩もしやすくなってきた。

犬と散歩に行って遊んでると、回収し忘れてたフリスビーをトンビが持っていってしまう…。 うちの犬が大好きなオモチャなのに。

とっさに追いかけはじめる。

前にクリアして手をつけてなかった「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド」を再開したからか、 走りながらリンクが走ってる姿を思い出す。 あんなにしっかりとは走れないけど。

トンビ側としてもどうでも良くなってきたのか、放してくれたので無事に回収完了。 他人の敷地や水の中、道路なんかに落ちなくてよかった。

そういえば昔、パンを取られそうになったなあ。 過ごしやすい気候になってきたけど、開放的な気分になるのはほどほどにしたい。

年齢と集中力

晦日から久々の体調不良で、ゴロゴロしてます(笑)。 熱もないし、ウイルスとかではない、ことを願う。

そんな寝正月の中、”年をとると好きなことにも集中できなくなるという話を聞くけど、それは違うのでは?”と思った。

好きなことに長く集中できないというよりも、それはもうとっくに飽きてることだからだろう。 同じような感じで、自分を律して好きでもないことを続けるのは難しくなってくる。

しなきゃいけないことだから、どうにかして終わらせるようなこと。

することはできるけど、終わった後の疲れがなかなかとれないような…。 良く言えば、無理ができなくて素直になった、ってことか。

体調を崩さないよう、自分と相談しながらやってかないとね。

予想

自分で勝手に予想しない。

どうしてかというと、頭で考えてわかることは自分の想像を超えないから。

いつも通りの解決法をとることになるだけだ。

考えてみてほしい。これまでに、自分が予想した通りになったことがあっただろうか?

案外無いのに気付くだろう。

つまり、予想をしたところでその通りになるとは限らない。

おそらくどちらにせよ、未来は変わらない。

それなら、先のことを気にするのは無駄ではないか。

頭で考えても、出てくるものは過去に経験したことくらい。

だからときには、思い付いたことにゆだねてみるといい。

とはいえ、最初から考えることを放棄してはダメだ。

一度は考えておかないと、いろんな罠にかかる可能性がある。

考えた後で、最後は思い付きにまかせる。

そうしておけば、後悔はない…ハズだ。

あるといいもの

久しぶりに棚から紙の国語辞典を取り出して思ったこと。

「ん? 最近使ってないし、手放していい頃かも」

普段は同じ国語辞典のアプリ版を使ってるので、内容としては役に立ってもらっている。でも、紙の辞書自体を使っているわけではないのでキレイだし、売ってしまえばちょっとしたお小遣いになるような気もする。

こういうときに思わずページをめくってしまうとアウトだ。躊躇せずに素早く手放してしまう方がスッキリするだろう。


いつもの悪い癖だが、ここで中身を見始めるとしばらく手放すことはできなくなる。

「一覧性がよい」というらしいが、紙の辞書は他の項目まで目に入ってくる。だから、調べたかった言葉の他にも一つか二つ余計に調べてしまう。これはさすがにアプリでは得られない体験だ。

逆にいうと、余計な時間がかかるから疑問に思った言葉があるときに開くものではないということか。意味のわからない言葉だけを調べたいときには、アプリ版を使うべし。

こうして物は減らずにどんどん増えていくわけだ。別に嫌なわけではないが。


所詮はあったらいいものなので、処分はどうしてもしないといけないときでよい。

実際、本も音楽もない状態で暮らしていても、それらに飢えるほどではなかった。私にとってはそういうものだったのか、とそのとき初めて知った。

しかし、あるとないとでは大違い。私を豊かにしてくれるものには違いない。

「あるといいもの」というものは「なくてもいいもの」かもしれない。だからといって、「なくていいもの」ではないのである。

数日前、夜の寝苦しさが急におさまったかと思ったら、秋の虫が鳴きはじめた。

この辺りでよく聞くのはコオロギの音色。

彼らには暑さが和らいだことがわかるらしい。

日陰にいる虫たちは、朝日が昇って明るくなっても鳴き続けている。


9月に入って気になったこと、それはツクツクボウシの声をほとんど聞いていないことだ。

まだ夏の終わりに気がついていないのかもしれない。

完全に秋らしくなってくるにはもう少し時間がかかる。例年通りであれば、これからやってくる台風シーズンを乗り切るまでは過ごしやすい気候にはならないだろう。


ところで、この季節になると秋生まれの私の頭の中に変化が訪れるのか、何かを変えたくなってくるようだ。

クルマを買い換えてみたり、新しい趣味をはじめたり。転職や引越しの計画もこの時期に動きはじめている。

できれば何も変えずにのんびりしていたいのだけれど…。木から葉が落ちていくように、余計なものを手放す頃合いなのかもしれないな。

私も虫たちと同じように、無意識にタイミングを察知しているのだろうか。

退屈

月末の仕事を済ませた次の日、ものすごく退屈を感じた。

退屈を感じるのは何も珍しいことではないが、やりたいことを始めてもあまり面白いとは感じない。


『精選版 日本国語大辞典』で「退屈」を調べてみる。

たい‐くつ【退屈】
〘名〙 (形動)
①くたびれて気力がおとろえること。いやになること。また、そのさま。

②何もする事がなくて、暇をもてあますこと。無聊(ぶりょう)で困ること。また、そのさま。つれづれ。

③なすべき事をしないこと。年貢納入、契約履行などの義務を怠ること。緩怠。

④畏縮すること。おそれしりぞくこと。不安になること。

⑤困りはてること。閉口すること。また、そのさま。

⑥仏語。修行の苦しさ、むずかしさに、さとりを求める本志をおろそかにして、精進努力の心を失うこと。

「退いて、屈む」と書けるくらいだし、私はそんな状態を感じたのだろう。

三省堂国語辞典 第七版』には、②の語釈と「〔ねむくなるほど〕つまらないようす。」としか載っていない。

これらの状態は、周りから見ている分にはどれも同じに見える。


それにしても明確な意味を説明できないのに、自分の感情として「退屈」という言葉が突然思い出されるのはいかがなものか。もしかすると、そんなことを感じる場所自体が混乱しているのかもしれない。

いずれにせよ、こんなときにはとりあえず嫌になるほど眠るに限る(苦笑)。やけになって大きな決断をしたりはしないことだ。